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カテゴリ:新ソシュール記号学
言語を研究対象として扱うと音素は「音声言語を構成する単位」と定義する事が可能。
そして音素は「視覚的なコントラストに基づいた平面的な単位である文字」を与えられる。 音素を文字で表記する事には対して、学者一般からの抵抗は全く無いと言っていいだろう。 それ程、文字表記は浸透している。 実際、文字表記をしなかったら言語学と言う学問自体が成立しない。 音素の文字表記は、聴覚でしか捉える事の出来ない音素を、音素一つに文字一つが対応する事を基本にして視覚的に見える形でモデル化したもの。 国際音声記号での表記は、電子が原子核の周りを回っている図と根本的には変わらない。 音素と原子のモデル化と違うのは、物質自体は視覚的に見える事を前提として、原子も「見える」前提で視覚的にモデル化しているのと違って、音素の弁別や識別は、全て聴覚のみを使って行われている筈なのに、視覚的にモデル化するている点である。 知覚チャンネルが聴覚から視覚に置き換わっている。 この知覚チャンネルの聴覚から視覚への変換は無視出来ないと私は考えた。 音素の本質が知覚チャンネルの変換によって歪められていると考えたからである。 そして視覚的に二次元的に記述される「音素と言う単位」を我々は一体どう言うメカニズムを使って弁別し識別しているのかを知りたいと思った。 そこで私が注目したのが「ミニマルペアと言う音素を弁別する為のオペレーション」である。 ただ、改めてウイキでミニマルペアを調べてみて、一つ気がついたのだが、このオペレーションが「聴覚によるものである」との記述が見当たらない。 私には当然な事であるが、どうやら一般的には違うらしい。 私には「音素は、聴覚によってのみ捉えることが出来る存在」であると言う認識があるのだが、言語学界隈の認識は私の認識とは、少し、いや、かなり違う様である。 私が今、気がついたのは、ミニマルペアを実践する音韻論者にとって、音素と言うのは、何らかの実体を持っていると言う事である。 私は単純に、ミニマルペアと言う音素を弁別する為のオペレーションは、聴覚だけを使っているものと思い込んでいたが、音韻論者を始めとする言語学者は、そう言う認識を持っていない事が、ようやく理解出来た。 どうやら、これを由々しき事態であると思っているのは、世界中で私だけの様である。 何故、私の言語理論学が誰にも理解されないのか、やっと分かった。 私以外の人間は、音素の幻を見ているのである。 これを、もう少し整理して、投稿しようと思う。 やっと、手掛かりが見つかった気がする。 やはり、自分は間違っていなかったと言う確信が持てた。 でも、全てはこれからだ。 現在の言語学の常識を、未来の非常識に変えると言う責務を私は与えられたのである。 お楽しみは、これからだ。 ソシュールの記号学を通すとすると、実は「シニフィアンが単位である」と言う認識に立っている事になるが、これこそが誤りなのである。 記号自体は「Terme positif」であるが、その構成要素(?)である、シニフィアンとシニフィエは違う。 ここのところをはっきりさせたいと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023.04.14 18:53:13
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