|
カテゴリ:新ソシュール記号学
ソシュールの「言語には差異しか無い」を、より正確に表現すると「音声言語のシニフィアンである音素には、聴覚的な差異しか無い」になるが私が見落としていた事が一つある。
それは、シニフィアンの存在自体は、差異ではなく単位として定義されていると言う事。 この前提が全ての元凶であったのだ。 ソシュールの一般言語学講義には「terme positif/négatif」と言う用語がある。 前者は単体で存在するもので、後者は他のものとの関係においてのみ存在が可能になる。 私はこれを「単位/差異(価値)」と言い換える。 記号は、実はこれら二つのどちらにも該当する為、厄介なのである。 記号は、認知定な視点では「単位」であるが、言語的な視点では「差異(価値)」になる。 現在の言語学では、この区別が出来ていない。 記号を「認識的な単位」としてみている為、ミニマルペアによる音素の弁別は、音素と言う単位の「離散的な属性」を定義するオペレーションになってしまう。 ここで「離散的な属性」と言ったが実はこれは正確ではない。 離散的な属性と言うは、音素を一つの単位とすると、例えば「k/g」の様に「基本は同じ発声法だが、清音と濁音で違いが生まれる複数の子音」の間にしか見いだす事が出来ないからである。 では、本来のミニマルペアは一体、何だろうか? 音声で表現される音声言語の記号と言う単位を収集して、相互比較から始まる事には変わりないが、音素の弁別や識別は聴覚によって認識される差異のみによって行われると言う事実を徹底する。 日本語の例を使って具体的に見てみる。 先ず「蚊(か)/木(き)」と「蚊/歯(は)」と言う二組のペア。 「木(き)/蚊(か)/歯(は)」と言う3つの記号を使うのは、ミニマルペアには大きく分けて2つのタイプがあるからである。 それは、共通する部分と相違する部分の前後関係で決まる。 1、(共通部分/相違部分) (共通部分/相違部分) 2、(相違部分/共通部分) (相違部分/共通部分) 「木(き)/蚊(か)」は一つ目のタイプで、「蚊(か)/歯(は)」二つ目のタイプ。 1、き か 2、か は 日本語の仮名表記はミニマルペアの説明に非常に便利。 何故ならアルファベット表記と違って「音素」が不透明な表記方法であり読み方を知っている人だけが音素を弁別できるから。 ここで重要なのは、音声(音節)が音素に分節される時、音素同士の前後関係が生じると言うことである。 この日本語の例では、前半部分には子音、そして後半部分には母音が来るが、子音や母音と言うカテゴリーは、話者が音声を聴覚によって前後に離散的に分節出来る事によって初めて生じるのである。 音素と言うのは音声(音節)と言う認知的な単位をベースにしながら、その単位を時間軸上に前後に分節する事で、座標と言う形で捉える事が可能だと言える。 音素の線状性は音声を前後に分節する事によって音素が生じるのである事で説明が出来る。 ここで重要なのは音声の前後への分節のメカニズム。 しかも、これはあくまでも、聴覚のみによる音声の前後への分節なのである。 これで、我々が特殊な認知メカニズムを持っていて、そのお陰で音声言語の音素を弁別/識別出来る事の説明が一応出来たのだが、次の課題は視覚言語である手話に同じ事が適用出来るかである。 答えは勿論、イエスである。 視覚言語である手話の場合、視覚の媒体となるのは目の前で手話をする人間の身体である。 一つ、気を付けないといけないのは、その身体の動きを認識するのは視覚であるが、その動きは音声と同じで発せられた途端に消えて無くなってしまう。 勿論、巻き戻して再生する事は出来ない。 こう言う儚い存在である身体の動きを見ながら、手話の話者は記号を読み取り、全体の意味を構築しながら理解して行くのであるが、前後に分節する音節と同じ構造を持つものが手話にも存在する。 それが手話サインである。 これは、写真やイラストを使った手話サインの表記方法に見ることが出来る。 手話サインの一般的な表記方法は、写真やイラストの違いはあっても、サインの始める瞬間の身体の位置を止め絵にし、次に終わる瞬間を止め絵にし、2つを重ね合わせて、主に両手と両腕の動きの軌跡を、二本の矢印で表現する。 これらの矢印の方向は、勿論、時間軸上の時間の進行方向である。 両手と両腕の動きの軌跡自体は一定方向に向かって流れる川の水の様に止めどないが、手話の話者は、このコンスタントな流れの中から自分の知っている手話サインを識別して、自分の意識上に「記号として切り取る」事が出来るのである。 手と腕の動きの軌跡の方向性は、音節の前後への分節と呼応する。 つまり、音素も手話サインのどちらも、人間の特殊な認知メカニズム、認知単位を前後に離散的に分節する事の出来る機能のお陰で、初めて弁別/識別する事が可能になるのである。 人間に共通な認知メカニズムが、2種類の知覚運動チャンネルに特化した事で音素と手話サインが生まれたという事になる。 では、この「人間に共通する特殊な認知機能」と言うのはなんであろうか。 私がそこで考えたのが、特定な知覚運動チャンネルに左右されないものとして、特殊な記憶喚起機能の存在である。 実はこれで、記号の離散性に関する思索は、ひと段落したのだが、ここからが言語の謎を解明するための本質的な思索が始まったと言っていい。 それは、自分の心を実験台にする事で進めた。 だから、私だけのケースか、人類に応用出来るのか自信がない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023.04.14 18:57:30
コメント(0) | コメントを書く
[新ソシュール記号学] カテゴリの最新記事
|