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カテゴリ:イタリア語の研究
私は数年前から、イタリア語を全く話せない状態を維持しながら、イタリア語の文法の研究をしている。
その成果が少しづつだが出てきた。 子供は、文法を習得する前に音韻体系を獲得するが、今の私の耳は、そのプロセスを再現している。 それを既に学んだ文法と結びつける作業をしているわけである。 この音韻体系と文法を結びつける作業には、私が既に知っている言語の知識が非常に役に立っている。 日本語、英語、朝鮮語、フランス語の丁度中心にイタリア語は位置しているように思う。 知覚チャンネルは違うが、フランス手話の知識も、音だけにとらわれないという姿勢を保つのに役立っている。 かなり以前だが、小さい頃、ベルギーに昔住んでいた日本人にフランスであったことがある。 当時話していたフランス語は全く忘れているのに、フランス人が単語を発音して、それを繰り返してもらうと、ちゃんとフランス語になっていた。 語彙や文法は忘れたのに、音韻体系は忘れてはいなかったのだ。 イタリア語が話せないといっても、私はイタリア語文法は、かなりきっちり勉強しているし、語彙も少しずつだが増やしている。 私は、普通に話されるイタリア語を聞いて、意味が全てはわからないのに、アクセントと音素は拾えるという感覚の体験を通して、イタリア語文法の書き直しを目論んでいる。 実は私は、フランス語の口頭でのスペリングを聴いて理解する事が苦手である。 電話とか、単語が長くなると完全にお手上げである。 自分はフランス語の聴き取りに、目で見て覚えたスペリングを活用しているのだと思う。 イタリア語では、耳だけで音素を識別出来る様に、耳を鍛えたいと思う。 こんな、ややこしい言語学をやっているのは自分くらいだと思うが、それこそが、言語の謎解きへの確実な一歩であると思っている。 今の「言語学者」は、自分達が「文法学」をしていることを自覚した方がいい。 今なら、未だ遅くはない。 でないと、歴史に「言語学者」として名前が残らないだろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023.04.14 19:09:06
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