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カテゴリ:新ソシュール記号学
最近「生きづらさ」を解消する事に躍起になっている人達を、Twitterとかでよく見かける。
でも私は、生きづらさ、つまり「生きて行く上で受けるストレス」を糧にして生きている。 実際、私の言語学の研究は大きなストレスがある度に進歩して来た。 時には、研究の為にストレスの維持さえ図る。 以前フランスの所謂、スピリチュアル系の雑誌を購読していた事がある。 購読理由は科学でスピリチュアルを解くと言う姿勢が見られたからだが、いつしか購読をやめた。 その雑誌の特集の内容が「幸せ探し」ばかりで、ついて行けなくなったからだ。 神頼みや他力本願の幸せ探しは私に合わなかった。 「幸せになりたい」と言う願望は、極自然なものだと思う。 でも自分の感じている「生きづらさ」が全て解消されたら、即、幸せになれるのかと言ったら、そうではないと思う。 生きづらさは、一つ解消されても後から後から出てくる。 つまり永遠に感じる事が出来るから、幸せは一向にやって来ない。 人間は、自分で選択をすることを迫られ、その選択に対する責任を、自分で負わなければならない。 自分に辛い選択を迫る側(社会や人)を恨むか、選択が与えられることを幸運と考えるかの違いになるのかもしれない。 一見、理不尽なように映るかもしれないが、これが真理だと思う。 私はメンタルがそれほど強い方ではないと思う。 結構、落ち込むこともある。 しかし、ストレスをコントロールすることが自分の言語学の研究に有効であると気が付いたとき、別の道が見えてきた。 そのきっかけになったのが、三年前の父の死だと思う。 コロナ禍で葬式にも出られなかった。 「何もできない無力感」という新手のストレスと戦うことになったのだが、言語学の研究の方は、新しいアイデアが次々と湧いてきて、自分の意志とは関係なしにどんどんと進む。 両親にはフランス留学を経済的に支援してもらっていたし、兎にも角にも研究を進めることで自分を納得させた。 それから、ストレスが自分の研究に有効な事に気がついた。 と言っても、ストレスを楽しむ訳ではない。 自分の心を削ることには変わりがない。 それに、ストレスの原因である問題には必ず脱出口がある事にも気がついた。 そして、それを見つけるかどうかに、かかっていると言う事も分かった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023.04.15 01:46:15
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