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カテゴリ:新ソシュール記号学
我々が言語を自分から話す時は、自分の記憶の中から単語を思い出すだけでなく、話す内容も記憶から呼び出している。
では、音声言語を聞き取ったり、手話を見て理解する場合、記憶はどう関わって来るのだろうか。 先ず、我々は通常、知っている、つまり記憶している言語しか理解出来ない。 では、我々自身が記憶している言語に限定しよう。 聴いたり視たりする場合、話し相手の音声や身振りは、発せられた途端に消えてしまう。 つまり、話を聞いたり、視たりしながらリアルタイムに記憶して行かないといけない。 では、我々は実際に他者の発話を、どう言う形で記憶しているのだろうか。 先ず、聴覚に特化して生まれた音声言語に限定しよう。 音声は、そのままでは単なる音波の連続であり、言語として認識される為には、音声が音素に分節される必要がある。 ここで我々が忘れていけないのは、音声の音素への分節は、聴覚のみを使うと言う言語学上の事実である。 では、音声の音素への分節だが、これは音声の聴覚による知覚が大前提となる。 ここで一つ、大きな疑問が生じる。 物理的な音波で構成される音声の聴覚による知覚は、勿論リアルタイムに成されるが、音素への分節も、同時にリアルタイムに成されるのかと言う事であるが、私は違うと考える。 音素は俗に「言語の最小単位」と定義されるが我々は音素をリアルタイムに数珠繋ぎに認識しているのではない。 これは我々は聴覚で認識した音声を高速で音素に分節しているせいもあるが、書記言語を持ち言語を視覚的に分解して平面上に直線的に記述する事に慣れ親しんでいる人達の持つ幻想である。 では我々は一体、どの様にして音声を聴覚のみを使って分節しているのだろうか。 それは、一旦知覚された音声を、記憶に変換されたと形で、リアルタイムではなく、時間差で認識しているのである。 ここで何が起きているかと言うと、かの有名な「音素を弁別する為の操作」であるミニマルペアである。 物理的な音波を聴覚で知覚する際は、あくまでリアルタイムに物理的な刺激が知覚と言う形で変換されるのだが、一旦、知覚が記憶と言う形で「変換」されると、我々は記憶された音声を第三者の目で客観的に捉える事が可能になる。 只これは我々人間だけに与えられる視点であって、動物は単に知らない。 記憶に変換された知覚を、意識上でリアルタイムに入って来る知覚刺激とパラレルに再生する時、ソシュールの提案した「記号」が介入して来る。 記号と言うのは、時間軸上に前後に展開する二極性を持っている。 この「二極性」無しには、音素を弁別する操作であるミニマルペア自体が成立しない。 ソシュールの記号と言うのは、シニフィアン/シニフィエによって構成される二重の価値体系であるが、この「価値」を生み出すのが記憶で再現された知覚された音声(発話)を、二極化と言うリアルタイム認知に逆らう構図で認識する意識上の無意識の操作なのである。 しかし、この二極化が音節を作る。 この二極化を端的に表現してくれる歌。 ヘッドライト・テールライト / 中島みゆき [VOCALOID COVER - GUMI] 動物は、常に現在の自分が中心。 未来と過去は、動物の現在から見たら、どちらの同じ方向に存在する。 我々が普通に認識している「過去/現在/未来」と言う時間軸は、存在しない。 しかし、記憶の進化により少しずつだが、過去と未来の区別が可能になる。 でも、歴史に繋がる時間感覚は無い。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023.04.15 02:27:37
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