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カテゴリ:記憶科学
私は正統派のアカデミアと離れて、もう20年程経つ。
元々日本では、言語学をやっていなかったので、日本でのアカデミア関連のコネは皆無であるし、フランスでも、状況は同じだが、自分の考えなり、自分独自の言語理論なりを、公的に発表しようと思っても、全く伝手が無いと言う現実に直面している。 しかし、アカデミアと十分な距離を置くことで、思考に関する自由を手に入れたと言う事実はある。 今、現在のアカデミアと私が持っている関係は、辛うじてYouTube の動画のみである。 よくよく考えたら、最近、全く誰とも口頭で議論をしていない。 ともちゃんさんとのメールのやり取り位である。 私は岩明均先生の漫画「寄生獣」のミギーの様に、ここにある材料だけで考えてみたくなったから、宿主であるシンイチとの言語的なな接触を絶つと言う様な、究極の隠居生活ではない。 ネットで知的な刺激を受けて、それに反応する事はあるが、ほぼ誰とも意見を交わす事なく、既に何年も経っている。 自分が辿り着いた結論や理論は、自分では勿論、正しいと思ってはいるが、一部の人からの「いいね」が最近の自己肯定の拠り所になっている。 アンチが出てくれば、それに対して反論する事も考えられるが、それらしいアンチも出て来ない。 でも、一般にバズる事が重要ではない事も重々承知である。 只、こう言う考察を続けることで、自分の理論、ともちゃんさんの命名だと「佐藤哲学」の持つ穴を埋める作業になっているのは確かである。 自分では考えもしなかった概念間の関連性が明確になるのは嬉しい。 しかし、将来的にそれらを、自分自身で纏った文章にして発表出来るかは全く分からない。 「佐藤哲学」には明確な始まりと終わりが無い。 何故なら、この宇宙の全ては循環する動的なサイクルによって生まれ、維持され、進化しているから。 それでも何時かは、自分の宇宙理論を理路整然とした一つのストーリーとして語る必要が出て来ると思う。 今は、その為の穴埋めをしている訳である。 スイスの心理学者ピアジェの「対象の永続性」と言う概念を今になって初めて知ったのは結構ショックだったが、今後もこの様な「穴」は随所に出てくる可能性がある。 これは私がアカデミアとの接触を絶っていた事が一つの原因であるが、研究成果を求められると言う立場にいないのは大きな利点である。 時間の制約無しに自由に思考出来ると言うのは、学者にとっては最高のコンディションだと思うが、私は幸運な事に30年近くもそれを享受する事が出来た。 しかも最近の20年は、特定のアカデミアに所属する事なく独自の思考実験を遂行出来た。 只、それによって生じたアカデミアとの乖離は現実である。 しかし私が探求しているテーマを鑑みると、アカデミアとの乖離は避けられない。 私は、特に「Consciousness」の問題に関して、人歴史上、初めての新しい視点を提供しようとしているのである。 メンデルの二の舞になりたくないが、私にはどうする事も出来ないので、只々、投稿を続けるだけである。 個人的には、日本から「Consciousness」の問題解明の運動を起こしたいと考えている。 それは、日本語話者である事が、私の理論「佐藤哲学」を理解する為の第一条件になると考えるからである。 これが実現できたら、科学の新しいパラダイムシフトが必然的に起きる筈で、それが私の目的である。 人工知能の研究は動物と人間の知能は連続性を持って推移しているとする考えに基づいているが、両者には離散的な乖離がある。 波状の動きしか無い混沌と言う状態から自分を知りたいと思う意識が自己同一性を求めて他者との境界線を確立して自己存在を誕生させたビッグバンと同等の宇宙の誕生である。 自己存在の確立は物理化学的の時空間の形成を意味するが、この時空間上で物質が自己同一性を進化させる事で次の段階として生物認知的な時空間を形成し、その際、物質が他の物資に影響されずに自律的に自己同一性を維持出来る生物的なメカニズムを確立すると同時に主体としての自己意志が生まれた。 生物認知的な時空間の形成は、物理学に於ける量子力学に該当するが、現在、この離散的な時空間の存在を知っているのは私だけである。 何故なら、生物的な自己同一性の維持と生物的な個体としての主体の誕生を可能にする自己意志の発動が同時に起こったと考えるのは非常に困難であるからである。 私はこれを何年にも渡る思考実験、しかも言語が認知システムからどの様に進化して誕生したのかを思考的なリバースエンジニアリングによって解明したのだが、同じ思考ルートを他の人が辿る事ができるかは全く未知数。 誰も理解出来ないかも知れないが、私が確立した離散的な三層構造から出発出来る。 私以外の人間は、私が用意した宇宙の離散的な三層構造と言うおおまかな枠組みを、そのまま受け入れれば問題ない。 理屈で分からなくてもいいから、先ず形式から入って、後から、本質を理解出来れば全く問題ない。 実際、大半の科学知識は、そうやって伝達されて来たのだから。 どなたか、私の理論「佐藤哲学」を出版したいと思う人はいますか? 上手く行けば「ハリー・ポッター」シリーズよりも大きなインパクトを与える本になります。 なんたって、人類がずっと解けなかった言語の謎だけでなく、最近、話題の意識の問題に関しても大きな示唆を与える内容になる筈ですから。 認知システムに於いては、記憶喚起は完全に自動的な反応。 先ず、認知主体としての自己意志が待ち受け状態であり、それを発動させ、主体の快楽の度合いを上げようする為に、判断材料が必要になり、知覚された外界の物理的な刺激の記憶と相似した過去の経験の記憶が、自動的に喚起される事になる。 最初に喚起された記憶では、不十分であると主体によって判断された場合、それと相似した別の記憶が連想されて、続けて喚起される事になる。 これが、所謂「機会学習」であり、この連想が高速になればなる程、快楽の度合いを上げる為の時間が減る。 ChatGPT の場合、快楽の度合いを統計で測れる。 認知システムでは記憶喚起は、知覚(現在の記憶)が刺激となって、一方的に主体の個体としての意志にはお構い無しに自動的に行われ、認知主体は、それを判断材料として、どの様な反応行動を取るかの選択を迫られます。 何もしない選択肢もありますが、どちらにせよ行動の結果を知覚で感じ取ります。 行動は、一回で結果が出ることが多い訳で、この結果の知覚とそれによる快楽の度合いの判断まで含めたものが、一つの認知的な記憶として保存される。 これが、何処に保存されるのかは分からないが、それは新しい知覚(現在の記憶)によって自動喚起されるまで、そのままずっと待機している事になる。 認知的な記憶には外界の知覚、反応運動、結果の知覚と言う順番があるが、それらは時間軸上に時系列に並んでいる訳ではない。 最初の二つの順番は認知主体の自己意志が、それを発動する為、知覚的な刺激を必要とするために生じるものであり、最後に行動の結果がオーバーラップして記憶の一部となる。 これが、所謂「知能」のメカニズムである。 それは、与えられた条件をクリアする行動をとる為に、延々と繰り返され、行動の結果のフィードバックにより、また新たな行動が誘発される。 人間の場合、ここに記憶喚起の逆流が生じる。 過去の記憶が現在の記憶、つまり外界の知覚を喚起するのである。 現在の記憶の過去の記憶の喚起と、過去の記憶の現在の記憶の喚起が交差して二つの記憶が一つ融合して更新される時、二つの記憶の間にある生物的な反応に於ける時間差が、過去と現在を両極とする構造のベースとなり、これが物理的な時間軸とシンクロする事によって、認知的な記憶に二極性が生まれる。 これにより、今さっきの自分と今現在の自分が、時間差はあるが、同じ自分であると言う認識が生まれる。 これが、ヒトが自己同一性を維持し進化させる人間になった瞬間であるが、この場合、現在と過去の自分の形を決めるのは五感であり、先ずは身体全体で自己同一性の維持と進化を体現する事になる。 この自己同一性を維持或いは更新させて行く持続的な感覚が我々が意味と呼んでいるものであるが、特定の知覚運動チャンネルに特化する事でその感覚に対応する五感のクオリアが多様化する事で具体的な言語的な意味になるが、意味のベースはあくまでも人間の自己同一性が更新されながら生まれる持続性。 言語の意味だとあまりに分化してしまうの分かり難いが、我々が生きている意味と言うの場合の意味は、我々の自己同一性の更新循環サイクルの持続性であると言ってら分かり易いと思う。 言語の意味と人生の意味のどちらも、人間の自己同一性の更新循環サイクルであり、これが記号のシニフィエに該当。 これが記号の離散性になる。 言語や人生の意味は人間に固有の「現在と過去の記憶の間に起きる記憶喚起の循環サイクル」によって成立していると言うのが私の結論である。 これにより、認知的な記憶が離散性を持った記号に変換され、記号の時間軸に沿った二極性によってインデックスによる志向性を持った記憶喚起が可能になった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.04.15 17:50:14
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