3025409 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

かかしのジャンプ

かかしのジャンプ

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
全て | 記事なし | 中国・日中 | 国内・ | アメリカ・ | 資料 | 在日・国籍 | 外交・海外・国連 | 外国人問題・外国人参政権 | その他 | 政局・政治家・ | 航空・安全保障 | 科学・文化・ | 捕鯨・マグロ | 島嶼・領海・資源・ | 恥ずかしい日本人 | メディア・NHK問題 | 左翼 反日日本人 | 歴史・ | トピック | 朝鮮校無償化 | 台湾・日台 | 歴史共同研究・教科書 | 事件・事故・裁判 | ルーピー | 日王 | 経済・産業 | 仰天韓国 | 談話 | 仰天中国 | 拉致 | 対日ネタ | 中国論調 | バカ | 日本崩壊 | ヒトデナシ | 民主党 | 反日・歴史認識 | ロイヤルトラブル | 中国事件 | 韓国・事件 | 慰安婦 | 南北・北朝鮮・総連 | ガセ・謎記事 | 売国奴
2010.04.04
XML
カテゴリ:歴史・
第一章 朝鮮半島の歴史

ユーラシア大陸東部に居住活動した民族は大きく分けて3つある。

 一つは黄河文明の担い手となった殷族、周族などの中国系諸族、二つ目はモンゴル系諸族、三つ目はシベリア系諸族である。

 漢族は中国系諸族を統合して黄河流域から南の地域で活動した農耕民族、モンゴル諸族は牧畜を生活の糧とする遊牧民族である。 

シベリア諸族は2系統あり、一つは牧畜民、もう一つは漁労を含めた狩猟採集民である。

 シベリア系民族としてよく知られたイヌイット(エスキモー)の場合でも、同種族の中でトナカイを家畜として遊牧するものと、鯨やアザラシを対象として狩猟するものに分かれる。

 農耕民は定住耕作を生業とするため移動性が低い。 対して遊牧民は移動性が非常に高い。

 狩猟採集民は遊牧民ほどではないものの、意外に移動性が高い。 モンゴロイドは獲物を追ってベーリング海峡を超え、南北米大陸に達したとされる。

 農耕民である中国系諸族は、現代に至るまで万里の長城以南を主要な活動地域にしている。

 歴史上中国系諸族が長城を超えて国家を建国したことはない。 

長城の北に国家を建国したのは、全てトルコ系、モンゴル系、シベリア系の民族である。 このうち古くから満州、朝鮮に進出したのが、シベリア系諸族である。

 韓国語は中国語、モンゴル語とも違い、シベリア諸族語に近い。 15世紀に作られたハングル文字は、女真文字を発展させて作られている。 女真族もシベリア系民族である。

 朝鮮半島はユーラシア大陸の東の果てにあり、中国諸族、モンゴル諸族、シベリア諸族が接触する位置にある。 そのためこの地域には古くから様々な民族が侵入してきた。

 地域の生業は農耕、牧畜、狩猟採集(漁労を含む)であり、それぞれの民族の生業混合が定着した。

 現在まで血統が残る民族として朝鮮半島に最初に進出したのは、五千年ほど前のシベリア系狩猟採集民であろう。

 彼らの血を受け継いでいると見られる民族の一つが韓族である。 その後もシベリア系民族の進出が続き、紀元前500年頃には?(わい)族及び沃沮(よくそ)族が進出する。

 ?(わい)族、沃沮(よくそ)族の侵入により韓族は朝鮮半島の南部に押し込められ、満州南部から朝鮮半島北部にかけての一帯は?(わい)族と沃沮(よくそ)族が支配するようになる。

 南部の韓族と中部の?(わい)族そして北部の沃沮(よくそ)族が朝鮮半島の最初の支配的土着民になったと考えられる。

 紀元前300年頃、?(わい)族は王険城(平壌)を首都として箕子(きし)朝鮮を建国する。

 紀元前195年、?(わい)族の衛満が箕子朝鮮に代わって衛氏朝鮮を建国する。

 紀元前108年、漢の武帝が衛氏朝鮮を滅ぼして玄菟、楽浪、臨屯、真番の四郡を設置する。

 楽浪郡は波の穏やかな渤海、黄海北部の海路でやって来た漢の橋頭堡であり、これによって中国系民族が始めて朝鮮半島に進出したことになる。

 楽浪郡と真番郡の境界に流れる川は漢江と名づけられ、漢江の北に北漢山、南に南漢山の城が築かれる。

 漢山城は統一新羅の漢州、高麗の京城、李氏朝鮮の漢城になり現在のソウルに受け継がれる。

 漢はこの辺境の地に中国で征服した秦の遺民を移住させた。 中国系諸族のうち朝鮮半島に最初に土着したのは、漢族とともに秦族であった。

 漢の支配した朝鮮四郡の中心は楽浪郡である。 王険城は楽浪と改称され、漢による朝鮮支配の中心地になった。

 「漢書」地理志は記す、楽浪海上倭人あり。 日本は玄菟、臨屯、真番の海上の彼方にあり、楽浪ではない。

 地域の情報は楽浪が管理していたのである。 楽浪郡は朝鮮縣(平壌)を中心にして、漢江にいたる黄海に面した地域である。 同時に中国文化の影響を最も大きく受けた地域でもあった。

?(わい)族の地は楽浪、臨屯、真番になり、沃沮(よくそ)族の地は玄菟郡となった。 沃沮(よくそ)族が建設した都市が沃沮縣(咸興)、玄菟郡の首都である。

 しかし漢が四郡を設置した後も、朝鮮半島最南部には韓族の支配する土地が残っていた。

 紀元前100年頃、満州からシベリア諸族の一つであるツングース系扶余族が南下、紀元前37年、朱蒙が高句麗を建国、高句麗縣(桓仁、ホワンレン)を首都に置いた。

 高句麗は沿海州を南下してきた把婁(ゆうろう)族と共に玄菟郡を圧迫した。

 漢が滅亡して後漢に代わった後、204年に公孫康が楽浪郡の南、開城に帯方郡を置く。 この頃、朝鮮半島最南部には馬韓、弁韓、辰韓の三韓が成立、臨屯郡はすでに漢族が撤退して、?(わい)族の支配するところとなっていた。

 4世紀初め、高句麗の勢力が玄菟郡及び楽浪郡北部に及び、沃沮(よくそ)、把婁(ゆうろう)を吸収した。
 313年、漢江の帯方郡は土着の?(わい)族と馬韓の韓族に圧迫されて滅亡した。
 346年、帯方郡の地に?(わい)族の勢力が馬韓を吸収して百済を建国する。
 356年、辰韓の韓族が新羅を建国、弁韓の地には伽耶諸国が成立した後、倭の勢力が海を越えて任那行政府を置いた。

 このとき朝鮮半島は、南東部に激情型で不屈、知略に富んだ新羅系韓族、南西部に柔軟で温厚、文芸に秀でた百済系?(わい)族、北部に質実剛健、勇猛果敢な高句麗系扶余族が土着民としてほぼ確定することになる。

 楽浪郡、帯方郡が滅んだ後、その地に残された中国系秦族、漢族の遺民は母国へ返ることもできず、朝鮮系土着民からも圧迫されて一部は日本へやって来た。

 養蚕、機織を伝えた弓月君(ゆづきのきみ)は秦氏を名乗り、文筆を伝え史部(ふひとべ)を管理した阿知使主(あちのおみ)は東漢氏(やまとのあやうじ)を名乗った。 東漢とは楽浪郡のことである。

 宇宙旅行をしている人がどこかで宇宙人に遭遇した場合、彼は宇宙人に対して「私は山田です」とは言わない。

 「私は地球人です。 地球から来ました」と言うだろう。 これには歴史的傍証がある。 17世紀初頭、仙台藩主伊達政宗の命を受けた支倉常長は、海を越えてヨーロッパに到着した。

 いわゆる慶長遣欧使節である。 徳川幕府のキリスト教の禁教と鎖国によって、日本に帰れなくなった一行の一部はスペインに留まり、彼の地で生涯を終えた。

 彼らの子孫は現在スペインに健在で、全て「ハポン」姓を名乗っている。 遥か遠くの地で見知らぬ人に会ったとき、人は名前を名乗らない、人は故郷を名乗るのだ。

 応神天皇のとき百済から渡来して「論語」「千字分」を伝えた王仁(わに)は、西文氏(かわちのふみうじ)を名乗った。

 西の文字の国つまり日の没する所の国、漢である。 「東漢氏」は「やまとのあやうじ」と読んだ。

 「漢」は「あや」と読む。 「あや」は「文」に通じる。 つまり「漢」と「文」は同義であり、文字を表わすと同時に国を表わす。 伝えられた文字は漢字という。

 継体天皇のとき百済から渡来した五経博士は、「書経」「易経」「詩経」「春秋」「礼記」を伝えた。 彼らが伝えたのは中国文化であり朝鮮文化ではない。

 日本にはこの頃伝わったと考えられる言語表現が数多くある。 故事成語、四文字熟語、ことわざなどで中国起源のものは多い。 一方朝鮮起源のものは皆無である。

 日本にやって来て中国文明を伝えた帰化人の多くは、楽浪、帯方に残された秦漢の遺民であった。

 文字の伝来は同時に発音を伝える。 漢字の中国語的発音を音読みという。中国語も地方によって発音が違うため、音読みにも幾つかのバリエーションがあるが、どれも中国語的発音である。

 「日本」は「にっぽん」と読む。 「日本」を「本日」にすると「ほんじつ」と読む。

 これをもう一度「日本」として音読みで発音すると「じつぽん」となる。 中国人は跳ねる音便を発音しない。

 「あさって、さそってください」を中国人的に言うと「あさて、さそてください」になる。

 中国では「日本」を「じぽん」と発音し、マルコポーロはこれを「Gepang」と記述した。 

これらのことからも日本に漢字を伝えたのが朝鮮系の人々ではなく、中国系の人々であったことが分かる。 因みに漢字の朝鮮語的発音は日本に伝わっていない。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2010.11.29 19:39:00



© Rakuten Group, Inc.