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三鷹、聞いたか、吉祥寺、二子玉川 and Shibata

三鷹、聞いたか、吉祥寺、二子玉川 and Shibata

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2018.05.06
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テーマ:ニュース(99797)
カテゴリ:時事問題
ネット右翼ということで私がブロックされているブログで、
白井聡氏の講演という記事が載っていました。
こちらは、ネット右翼の星と違って、「お気に入りブログ」登録でもノークレームです。
当たり前ですね。
コメントされるのが嫌ならコメント欄をなくす、ブロックする、
ブログを読まれるのが嫌なら書かなければよいのです。

内容を見るとかなり過激です。
文責はブログ主とありますから、思い込みも入っているのでしょう。
岡山市とあったので自治体にしてはと思ったら、岡山県労働組合会議という団体が主催者でした。
最近の自治体は、安倍政権を気にして護憲に後ろ向きですから、
すごいと思ったのは私の「早とちり」でした。





同団体のHPからです。

.3輝け!日本国憲法集会岡山県民のつどい

 Posted by kiyoshi in 5.3輝け憲法集会, 活動日誌 |

と き:2018年5月3日(水)13時30分~

ところ:岡山市市民文化ホール

5月3日(木・祝)、輝け!日本国憲法!集会岡山県民のつどいが開かれました。42回目になります。始めたのは1977年。憲法施行30周年の記念集会として開かれたのが始まりでした。今回は400人が参加したそうです。例年通り、詩人会議の詩の朗読、合唱団による2曲の合唱、改憲反対の運動に取り組まれている団体の訴えの後、

白井聡氏(京都精華大学人文学部)による講演が行われました。
先生の著書に「永続敗戦論」「戦後の墓碑銘」「「国体論聞くと星条旗」などがありますが、先生の問題提起は平和主義の空洞化です。

護憲派と改憲派に分かれた戦後の闘いの中で私たちは本当に9条を支えてきたのか?と問題提起。それは日米安保に規定された平和ではなかったのか?現実を直視して運動をバージョンアップしようと呼びかけでした。

白井先生は戦後の日本は天皇制時代と同じであり、現実の政治はアメリカという存在が親米保守の世界を形づくり、天皇の如き存在になっているとしました。

これはちょっとショッキングな投げかけでした。というよりは気付かされました。外交の文書を見ると我が国の方針は日米同盟がすべてです。同盟の強化が日本の繁栄をもたらすかのような表現に溢れています。

したがって、北朝鮮の問題も日米圧力路線の成果だと自画自賛。アメリカとの絆は絶対的な条件であり、常に付き従う政権と国民の意識がある。これは普通に考えればおかしなことだが、おかしいと思わない不思議さがある。トランプと安倍首相のゴルフ外交を見れば「恥知らず」としか言いようがないと話しを進めました。

戦後の人たちは「戦前の人たちは何故戦争に反対の声を上げなかったのか?」と聞くことがあるが、逆に戦後の日本は「アメリカを頂点とした日本であり、天皇制の2度目の崩壊期が来ている」と「憲法と永続敗戦論」を展開しました。

さらに、
実は敗戦後という言い方は生ぬるい。日本は敗戦も認めず、未だに終戦と言っている。原発も同じ構図であり、故事が続いていることを認めていない。戦争を清算していない社会システムが温存している。

その結果として対米従属を無制限に続けている。属国化されていることを理解していない。自覚されていたならここまで変な事にはならないだろう。異様な卑屈さがある。敗戦の不認であり、負けたことを認めていない。現実を認めていない。だから終戦と言い続けている。戦争を自然災害のように考え不幸な出来事があったかのように考えている。これは自己変革する必要がある。このシステムの温存が永続敗戦だと話しました。

憲法に関わって、9条は天皇を利用するための条文だった。戦後の占領政策を続けるためには、連合国による天皇の戦争責任が問われる前に、マッカーサーが仕組んだものは天王を無力化したと思わせる条文だった。

しかし戦力の放棄とアメリカの占領政策は矛盾する。軍隊を本土ではなく沖縄に駐留させることで誤魔化した。冷戦時代はソ連という敵がいてそれでもよかったが、ソ連が崩壊すると駐留する理由がなくなる。

日米同盟は天皇にとって代わり、政府は情緒的な言葉で日米関係を飾り始めた。きずな、思いやり予算などの言葉で親密で、臣民を愛してくれる天皇の如く、従属国である日本はアメリカに愛される国にすり替えられた。

押し付け憲法という戦後レジュームからの脱却は実は脱却にあらず。本音ではアメリカの軍事化を支える国でありながら、憲法上は平和国家であり、平和主義の空洞化・崩壊が現実的な見方だと説明しました。安保条約や日米同盟が憲法を上回っているとしました。

白井先生は最近、違憲という言葉が軽くなっている。違憲な法律がまかり通り、日本人は憲法違反に慣れてきて、法治国家としての基盤も壊れてきた。一方で9条が戦後のナショナリズムを形成してきた。それは国連が機能して戦争が無くなる環境が生まれる可能性があったからだ。私たちは歴史を学び、バージョンアップすれば安倍政権に対抗できると強調しました。

 

 

岡山県労働組合会議・綱領

(1)われわれは、労働者の生活と権利を守り、経済的、政治的要求の実現をはかり、社会的地位の向上をめざしてたたかう。

(2)われわれは、労働運動が蓄積してきた積極的、戦闘的伝統を継承・発展させ、岡山における労働者・労働組合のエネルギーを総結集して運動の発展をはかる。

(3)われわれは、資本と政党からの独立、一致する要求にもとづく行動の統一という原則を堅持し、相互の自主性・主体性を尊重し労働戦線の真の統一をめざすとともに未組織労働者の組織化に奮闘する。

(4)われわれは、県民各層の人々と協力・共同し、国民的・県民的諸要求・課題の実現をめざす共同の諸運動の発展のために奮闘し、県民生活の向上と民主的地方自治の確立をめざす。

(5)われわれは、生活向上と平和・自由と民主主義を守る諸課題の実現をめざし統一戦線の強化につとめ政治の革新をめざす。

19891029日決定

*誤字はそのままです。





講演内容は、著書の焼き直しといってしまえばそれまでですが、
著者から直接語りかけられるというのはいいものです。
テレビなどで話せないことも、話されたのでしょう。





三鷹市は、テレビでおなじみの木村草太教授です。
以前、遥洋子さんが演壇に立って関西弁で男女差別問題を過激に
口演、いや講演されたことを思い出します。

とても興味深い講演でしたが、それに先立つあいさつで同級生の○○子さんが
市民団体の会長としてあいさつに立ったのには驚きました。
大学卒業後硬い職業のご主人と結婚して、専業主婦一筋と思っていましたが
そうではありませんでした。
大学教授や学長などポストについている同級生が多い中で、ちゃんと地域で草の根の
活動をしている彼女に敬服しました。
お父様は高名な学者です。
やっぱりその娘もただものではありません。





「護憲・改憲いずれの立場・・・」には、驚きです。
この一文は不要ですが言わざるをえないところに、こわさを感じます。





市民に人気の清原慶子市長ですが、今期で引退だそうです。

東京都武蔵野市生まれ。
東京都立富士高等学校慶應義塾大学法学部政治学科卒業。
1976年、慶應義塾大学大学院法学研究科政治学専攻修士課程修了。
1979年、同大学院社会学研究科社会学専攻博士課程単位取得満期退学。

1980年から慶應義塾大学文学部及び杏林大学医学部で非常勤講師を務め、
1983年常磐大学人間科学部専任講師に就任。
1987年からルーテル学院大学文学部助教授、
1992年にルーテル学院大学文学部教授に着任。
1999年
東京工科大学メディア学部教授に着任し、
2002年4月から2003年2月まで学部長を務める。
また大学教員在職中から「みたか市民プラン21会議」共同代表を務めていた。

2003年、同年の三鷹市長選挙に不出馬を表明した安田養次郎から後継指名を受け、
自由民主党公明党の推薦に加え日本共産党から事実上の支援を受けて
三鷹市長選挙に出馬。

民主党社会民主党が支援する元三鷹市議会副議長で前市議の高井章博、
革新無所属の元市議太田正子を破り初当選を果たした。
選挙後、三鷹市の民主党支部も清原への支持を表明し、
三鷹市議会ではオール与党体制が確立された。
なお、2003年の市長選で清原を支援した日本共産党はオール与党体制には加わらず、
2007年・2011年・2015年の市長選では推薦候補を擁立したが、
いずれも現職の清原が対立候補を大差で下している。

(ウィキより)









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Last updated  2018.05.06 10:00:08
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