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テーマ:ご先祖さま・ルーツ探し(4)
カテゴリ:家族
先日関西在住の従妹からいただいた叔父の自分史に、祖父母のことが記されていました。 母からは父方は越後の国の小さな藩の家老職の出身と聞いていましたが、本人の勘違いかだいぶ盛った話であることがわかりました。 事実は、石高1万1千石ほどの小藩に仕え、身分は代官所の次席でした。 石高も100石にも満たなかったのではと思います。 小泉首相の米百俵のエピソードで知られる小藩です。 明治時代には農家となって、祖父はその9番目の末男として1894年(明治27年)に生まれています。 本家の当主は現在もその地に住んでいて、叔父はいとこにあたるその方からいろいろと聞いて自分史に記したようです。 母も生前、これが最初で最後と叔父や叔母といっしょに先祖の地を訪ねたと話していました。 祖父は職業軍人で、主たる勤務地は新発田16連隊でした。 シベリア出兵や朝鮮総督府(釜山)にも派兵され特務曹長で退役です。 かなりの酒酒好きだったそうです。 祖母(1896年 明治29年生まれ)は江戸時代から続く市内の商店の次女で、 南満州鉄道職員の最初の夫について満州国奉天市(現在の瀋陽市)に渡り、2児をもうけました。 その後、夫が急病死して帰国、家を継いで職業軍人と再婚し、更に4子をもうけました。 家業は商店から旅館に転業し、そこの常連客が私の父方の祖父というストーリーです。 また、母方の祖父の学歴は東京薬楽専門学校(東京薬科大学)中退となっていて、薬の仕事をしていた父方の祖父との縁を感じます。 父方の先祖は、隣県の農家でお殿様が休憩に立ち寄るほどの大きな家だったと聞いていますが、これも?です。 確かに子どもの頃訪れた家は大きかったですが、小名主や村長といったところかと思っています。 中国・瀋陽には出張で2回行ったことがあり、この話を知っていたらもう少し感慨深かったかもしれません。 祖父は1953年に享年60歳で亡くなっているので知りませんが、祖母の面影は記憶の中にあります。 余談ながら、自分の玄孫(4親等)が有名な海軍中将の子孫との血縁と知ったら、驚くかもしれません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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