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三鷹、聞いたか、吉祥寺、二子玉川 and Shibata

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2024.03.03
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カテゴリ:TV



ひな祭りなのに雪の日曜日です。
昨日はパラパラとした雪でしたが今日は湿った積もりそうな雪で、朝起きたら10cmくらい積もっていました。
愛方は腰椎骨折が治癒してきたと思ったら、今度は偏頭痛。
昨夜はヘルペスができて痛みで眠れなかったというので、皮膚科に出かけて行きました。
日曜日の午前中もやっているようで空いていて、1時間弱で帰ってきました。
見立ては単純ヘルペスで、薬をもらって1週間後に再診と医者通いが続きます。

さて、日曜日のお楽しみは大河ドラマですが、こんな記事が載っていました。

本郷奏多、大河ドラマ『光る君へ』奇行の花山天皇を体現…その名字が語る、全国に広がるルーツ











さて、この本郷奏多という名前は「奏多(かなた)」も含めて本名とのこと。

名字の「本郷」は全国ランキングでは1000位付近というかなりメジャーな名字で、沖縄以外に広く分布している。

特定の地域に集中している場合はそこにルーツがあるが、全国に広く分布している名字は一般的な言葉や風景がルーツとなっていることが多い。「本郷」は後者で、「本郷」とは普通の言葉だった。

そもそも「郷」とは、古代の令制における地方行政区画の最下位の単位のことである。

古くは「里(さと)」といったが、奈良時代初めに「郷」に改められた。当時は家50戸を1つの「郷」の目安にしたという。今でいう大字(おおあざ)、または農村部での1つの集落という感じだろう。

 

さて、その地が発展して「郷」の人口が増えると、1つの「郷」を分割して新しい「郷」ができる。このとき、元からある「郷」のことを「本郷」といった。

最も有名な「本郷」は東大があることで知られる文京区の本郷だろう。ここは古くは湯島の中心となる集落で、湯島本郷と言われていた。それが次第に短縮されて「本郷」だけになったという。

こうした場所は各地にあり、全国にたくさんの「本郷」という地名が存在した。

そして、この各地の本郷に住んでいた人達が名乗ったのが「本郷」という名字である。従って「本郷」さんは全国に広く分布している。

その中でも最も「本郷」が多いのが宮城県で、本郷奏多も宮城県の出身である。







花山天皇はかざんてんのう、本郷奏多はそうたと読むのですね。
奇行ぶりがよく演じられていると思います。
こういう天皇はを見ると、悪いウワサの秋篠宮はまだましなのではと思ってしまいますね。

紫式部を演じる吉高由里子は何を演じても同じとの批判もあるようですが、私はファンです。
唯一平安顔の黒木華もいいですね。

巷では、直秀役の毎熊克哉が人気のようです。


参考:

花山天皇(かざんてんのう、かさんてんのう[注釈 1]旧字体󠄁山天皇96811月29安和元年10月2610083月17寛弘52月8〉)は、日本の第65天皇(在位:9849月24永観28月279868月1寛和26月23〉)。師貞(もろさだ)。

冷泉天皇の第一皇子。母は、摂政太政大臣藤原伊尹の娘・女御懐子三条天皇の異母兄。花山源氏(神祇伯を世襲した伯王家、のち断絶)の祖。花山院(かさんいん)や花山法皇とも呼ばれる。

父親の冷泉天皇も数々の逸話が残る人物であるが、花山天皇は当世から「内劣りの外めでた」などと評され、乱心の振る舞いを記した説話は『大鏡』『古事談』に多い。天皇に即位する前、高御座に美しい女官を引き入れ、○行為に及んだという話が伝わる。出家後も好色の趣味を止めることなく女性と関係を持ち、上記の「長徳の変」と呼ばれる逸話も出家後の話である。また、同時期に母娘の双方を妾とし、同時期に双方に男子を成している。その2人の子を世の人は「母腹宮」(おやばらのみや)[注釈 2]、「女腹宮」(むすめばらのみや)[注釈 3]と呼んだ。

ただしこれらの逸話は、皇統を伝えられなかった冷泉系の天皇に対して故意に作られたものである可能性が高い[3]

その一方で、絵画・建築・和歌など多岐にわたる芸術的才能に恵まれ、ユニークな発想に基づく創造はたびたび人々の意表を突いた。特に和歌においては在位中に内裏で歌合を開催し、『拾遺和歌集』を親撰し、『拾遺抄』を増補したともいわれる。

(ウィキ)






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Last updated  2024.03.03 12:00:08
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