いつの時代を生きるか
長引いているだけでなく、ますます危なっかしい状況に進んでいるように見えるコロナ禍。都会の人ごみに出かけないとか、外出時のマスク着用など自分でできる限りの対策は講じているが、あまりの長期化に気分はだんだんと沈んでいく。あれやこれやと気分転換になるようなことを思い浮かべるが、世間の風向きや現実を見ると、そんなに簡単に解決できることではない。 年賀状を書き始めたが、医療現場で仕事をしている人や、80歳を超えた人たちのことを思い浮かべると胸が痛くなってくる。去年までは「明けましておめでとうございます」と、それぞれの方宛てに2、3行のメッセージを添えていたが、今はおめでとうという言葉はちょっと不謹慎になるような気がして、「謹賀新年」にして、「明るく健やかな年となりますように」と書き添えた。 恒例の餅つきもしないと決めたら、一気に気が緩んでしまい、お正月もしなくてもいいんじゃないかと思えてきた。息子からラインで「正月は家族そろってお節とマージャン大会」と提案があったが、「このご時世に大人数の会食は良くないんじゃない?」という娘の意見で、中止することになった。今までのようにお気楽に一族郎党9人揃って、食べたり飲んだりマージャンしたりという当たり前だった楽しみさえもままならないなんて考えたこともなかった。そういえばマージャンは卓を囲んで4人の密度が半端ないゲームである。フェイスガードやマスクを着けてのマージャンなんて想像しただけで息苦しくなる。 これまであまりにも自由で豊かな暮らしを当たり前だと謳歌してきた罰かもしれない。時代小説を読んでいると、冬の生活環境は想像しただけで震える。あの寒さと、十分とはいえない栄養状態の中で疫病が蔓延すれば、庶民はなす術もなく命を落としていったのだろう。いつの時代を生きるかで人の運命は大きく変わる。それはともかく、輪廻転生ってあるんだろうか。