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カテゴリ:新ソシュール記号学
音声を聴覚でリアルタイムに知覚しているが、知覚自体は元々記憶であり、記憶の喚起メカニズムを使えば、これを平行に処理する事が可能になる。
リアルタイムの知覚は、現在から過去、或いは未来から現在に向かう方向性を持っていて、逆行する事は出来ないが、記憶として再生されるものは逆行も可能。 音声の聴覚記憶が再生される時に音声が前後に二極化される時空間が生まれる。 この二極化による音素の識別の処理速度を計測する事が出来たら我々の記号を物理的に再現する事が可能になるかもしれない(もしかしたら既に音声認識に利用されているかもしれない)。 記憶喚起と記憶操作の定義が必要。 認知メカニズムの記憶喚起は、より多くの快楽を得る行動を取る為に、過去の経験の記憶の中から現在の知覚と相似しているものが自動的に喚起され、現在の知覚と過去の知覚の記憶を比較して、行動を選択する為に使われる。 人間も同じメカニズムを持っているが、音素の弁別は、これだけでは出来ない。 人間の場合、認知メカニズムの上に「離散分裂(再)融合更新循環サイクル」が成立していて、知覚され記憶喚起された一定の尺を持った認知単位を、時間軸に沿って前後に二極化する事が可能になる。 この記憶喚起と操作によって、音節を、例えば「子音/母音」の様に離散的に前後に分節する事が可能。 音節の前後への離散的な分節の記憶操作が、一瞬のうちに行われ、それが順番に新しく記憶されていくため、我々は音素を、あたかも順番に数珠繋ぎに並んでいるように認識することが可能になる。 音節を前後に二極化する特殊な記憶操作は、リアルタイムでなされる聴覚による知覚と平行して行われているのだが、その処理速度があまりに早いのと、音素の識別をすることにあまりに慣れているため、二つのことが同時進行していることに気が付かない。 音素の弁別の盲点である。 これに注目しているのは、世界で私だけだと思う。 世界中の言語学者たちが、これに注目し始めたら、今現在、言語学とされているものが、単なる文法学であることが暴露されてしまうが、言語学が真の科学に昇格するためには、これを通らないといけない。 一つ補足すると、音声の音素への文節と同様に、視覚身振り言語の手話は、同じメカニズムを利用して、手話サインを認識している。 音声言語との大きな違いは、手話の場合は、記号のシニフィエ、つまり意味の側面が、手話サインという離散的な文節を可能にしているということ。 これが、一般的に認められれば、手話の音韻論が、音声言語の音韻論の「場当たり的な応用」に過ぎなかったことが理解されるだろう。 手話の音韻論は、それの果たした歴史的な役目を終え、引退する事になるだろう。 お疲れ様でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023.04.15 02:36:17
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