立川隆史
拓殖大学紅陵高等学校から1993年ドラフト2位で千葉ロッテマリーンズに入団。地元千葉出身の和製大砲としての期待がかかり、2年目の1995年には早くも一軍デビューを果たした。1998年には外野手の定位置を獲得。2002年には4番打者を任される試合もあり、マリーンズへの愛情と打撃への情熱は人一倍強かった。
2004年6月、平下晃司との交換トレードで阪神タイガースに移籍。ロッテ時代の応援歌はオリジナルであり、美しいメロディで人気があった。
阪神移籍後は主に右の代打として出場、2004年8月8日の東京ドームでの対読売ジャイアンツ戦で3番を打ち移籍後初本塁打を放ったが、翌2005年は一軍出場が無く自由契約になり、現役を引退。
2006年、台湾プロ野球誠泰コブラズの打撃コーチを務めた。
2007年、K-1JAPAN戦士育成プロジェクトに応募し2月25日の第1回トライアウトを受験、合格は逃したものの準備不足と潜在能力を評価され準合格となっが、5月6日に「K-1 JAPAN TRYOUT 2007」で行われた最終試験に合格した。
立川 ロッテ魂で判定快勝デビュー
K―1トライアウトサバイバルが16日、ディファ有明で行われ、元プロ野球選手の
立川隆史(31)が日中国交正常化35周年7対7親善試合で格闘家デビュー。閻文凱に3―0の判定勝ちを収め、初戦を白星で飾った。
立川は背番号24のロッテのユニホームに身を包んで入場。約120人の応援団の大声援を受け、相手の長いリーチに苦しみながらも序盤からローキックで攻め込んだ。最終回には右ストレートでスタンディングダウンを奪う快勝に「無我夢中でよく分からなかった。相手はなかなか倒れなくて、自分も厳しかったが、すごい声援で助かった」と応援団に感謝した。
家族の応援も心強かった。前夜は緊張で口数が少なく、美樹夫人(32)に「負けてもいいじゃない」と激励された。この日は長女・七菜ちゃん(6)長男・正真くん(3)に「パパ頑張って」とキスされ、勇気をもらった。今後については「ゆっくり考えたい」と明言を避けたが、谷川イベントプロデューサーは「大みそかのDynamite!!か、ワールドGP決勝戦に出したい」と年内にもう1試合経験させる方針を示した。
元欽ちゃん球団・富永悔しいドロー
ドローに終わった富永(右)に涙ながらに駆け寄る茨城ゴールデンゴールズの片岡
【K―1】元欽ちゃん球団の富永は判定0―1のドローに終わった。序盤から相手の前蹴りに苦しんで中に入れず、2Rには注意を受ける場面も。最終Rに右ストレートを合わせてあわやというところまで追い込んだが、結果は引き分け。「やりにくかった。キックのダメージはなかったが、もっと自分から攻められなくて悔しかった」と唇をかんだ。