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なるほどなあ
そういうことなら、日本の大使館でなくて、アメリカの大使館前に移せば、全部解決ですね! この作者のキム夫妻は、新北反米活動をされてる方で、最初は、意図が違うと言っていたが、お金が入るようになって、コロッと変えたとか。。。 横暴なアメリカ軍に、ひき殺されたってので、アメリカ軍に気を使った韓国政府の蛮行を許せないってことなので、こりゃ、世界に広めなきゃね!! しかし、まだ15年くらいなのに、こんな大事件が忘れられてるんだ。。。 千年恨みをわすれないんじゃなかったのかな?? 自分に都合のいい恨みだけ忘れないんだよなあ。。。 慰安婦像(いあんふぞう)とは、大韓民国や北米大陸、オーストラリアに設置された朝鮮人慰安婦の少女を模したとされるブロンズ像や石像。韓国では「平和の少女像」などとも呼ばれている。 2011年に韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)が、日本軍『慰安婦』問題解決全国行動(通称「水曜デモ」)通算1000回を記念し、ソウル特別市にある日本国大使館前の歩道上に「平和の少女像」を行政の許可なく設置したのが始まりで、その後、大韓民国はもとより、アメリカ合衆国・カナダ・オーストラリア・中華人民共和国に、次々と慰安婦像が設置されている(私有地を含む)。その数は、2016年中に韓国国内外で50を超えると見られている(いわゆる「平和の少女像」以外の慰安婦像も存在する)。 最初の慰安婦像である日本大使館前の「平和の少女像」を制作したのは、キム・ウンソン当時49歳(夫)キム・ソギョン当時48歳(妻)の夫婦で、2人は中央大学校彫塑科の84年入学の同期生で、1989年に結婚してからずっと共同制作してきた。2人は、親北朝鮮団体に関わり、反米活動を行ってきた。2002年には、議政府米軍装甲車女子中学生轢死事件で、「米韓同盟を廃棄しよう」「米兵をいじめ続けて追い出そう」というスローガンを掲げて米軍基地にデモした。キム・ウンソンは、2007年に、親北朝鮮団体「民族美術家協会」の事務長として北朝鮮を訪問した。また反米団体「平和と統一を導くサラムドゥル」の記念碑建設の委員にもなっている[8]。2014年には巨済市に夫妻が制作した新しい形の慰安婦像が建てられ、夫妻は慰安婦問題について「日本は従軍慰安婦問題で謝罪しないだけでなく、事実があったことさえ認めない。史実を隠ぺいし、歪曲し続けている」と主張し、「日本政府が心から謝罪し、反省しない限り、いつでもどこでも少女像を作る。違った姿の少女像をいろいろ考えている」と語った。 像の意味 キム・ウンソンは「少女像は数十年間胸中に隠していた恨みを取り出して、日本の蛮行を責める慰安婦被害者の勇気を尊重するという意味で作った」と語っている。 像の造形について、議政府米軍装甲車女子中学生轢死事件に抗議してキム・ウンソン夫妻が製作した被害者の少女らを象った一対の像のひとつとの類似が指摘されている。この像は、事故死時に少女たちの靴が脱げていたことを受けて、拳を握り締めた裸足の少女が2人椅子にかけて正面を見つめている、というものであった。 韓国の慰安婦像にはなぜ椅子が二つあるのか?また、いつから「少女」の設定になったのか→実は在韓米軍基地で事故にあって死んだ二人の女子中学生のモニュメントの使いまわしだった? 2017/1/15 コラム 16 韓国の慰安像にはなぜ椅子が二つおかれているのか。 また、なぜ「少女」の設定になってしまったのか。 そこに座っての記念撮影用? これをネットで調べてみると、なかなか興味深いというか、笑えるようで笑えない話に繋がっていく。 まず、この「少女」という設定だが、日本の研究者でもこのような少女はいなかったというのが定説。 「日本人の研究者の言うことは嘘だ!」という人のために、韓国人の朴 裕河氏が書いた「帝国の慰安婦」を引用しても、年齢は25~26歳くらいとしている。 朴 裕河氏 では、なぜ「少女」という設定になったのかというと、本末転倒なのだが、まず「少女像」ありきからこの話は始まっているようだ。 2002年に在韓米軍基地に忍び込んで遊んでいた二人の女子中学生、シン・ヒョスンさんとシム・ミソンさんが米軍の装甲車に轢かれて死亡するという痛ましい事件があった。 この時、韓国では大規模な反米デモが起こった。 もちろん今の慰安婦騒動やパククネ大統領の弾劾デモのように、その運動の主体は親北朝鮮勢力だ。 詳しいことはこちらのサイトで。 (一部引用) 「友だちの誕生会へ行って来る」、それが最後の言葉だった。(ヒョスンさんの兄の証言) 「子どもの遺体は2人の頭がい骨がおしつぶされたまま重なっていた。まだ血がにじみ出る前だった。どこの家の子どもなのか確認するために、まず村長に電話した」 小さな夢をかなえることなく殺された娘たちの事故現場を最初に目撃したホン・ギソック氏(54)の証言です。娘を奪われた遺族と同級生は血の涙で泣き叫びましたが、それはワールドカップの熱狂にかき消されてしまいました。 米軍は6月19日、「韓米合同調査」の結果、この事件が「悲劇的な事故」だったと発表しました。こうして、事故発生の原因と過程は具体的に明らかにされないばかりか、責任者に対する処罰もまた何1つ行わずに幕引きしようとしたのです。 事故は女子中学生の通学路でもある一般道路で起きました。彼女らがひかれた当時、別の米軍装甲車が対抗車線に現れたために、それを避けようとした架橋運搬用装甲車が道端を歩いていた女子中学生をひき殺したのですが、この事故に関係する車両すべてが米軍車両です。米軍のわがもの顔の振る舞いが、幼い命を無残に奪ったのです。 (略) 韓統連、韓青、民主女性会、学生協など、女子中学生日本地域対策委員会は15日、都内でシン・ヒョスン、シム・ミソン追慕大会と「6・15南北共同宣言貫徹!米軍の戦争策動糾弾!自主・平和・統一のための在日韓国人大会」を開いた。 参加者らは集会後、銀座をデモ行進し、駐日米大使館への抗議活動を行った。 2003年 6月 15日 米軍装甲車による女子中学生殺人事件日本地域対策委員会 この事故でなくなった女子中学生の写真は以下 女子中学生二人の献花台 本来はこの二つの椅子に二人の少女像を並べ、米軍基地近くに設置しようとしたのだが、米国に気兼ねをした韓国政府がこれを認めず、以下のようにひっそりとしたところで慰霊されているそうだ。 米軍の装甲車に轢かれて亡くなった二人の少女像が、なぜ今に売春婦像として蘇ったのかはわからないが、ネットの情報では、この少女像を作った造形家が、本来の目的とは違うと反対するも、金額で納得させたという情報もある。 少女二人を座らせると、韓国人なら「米軍女子中学生れき殺事件」を思い起こさせ、本来の目的とぼやけることを危惧したため一人としたのかもしれない。 また、「米軍女子中学生れき殺事件」でのアメリカへの当てつけの意味も運動組織にあるのかもしれない。 とにかく、反日・反米のためなら、実際の事故で亡くなった二人の女子中学生をも売春婦としてしまうこの運動体の異常さが表れている。 アメリカもこのことはわかっているかもしれない。 実は「反米少女像」だったことを。 米軍装甲車による女子中学生殺人事件日本地域対策委員会 真相究明、米軍の刑事裁判管轄権放棄、ブッシュ大統領の公開謝罪、「キャンプハウズ」閉鎖、不平等なSOFA全面改正 〔メニュー〕 〔国内の動き〕 〔事件の経過と闘い〕 (日本地域 対策委員会 6/16) 女子中学生追慕大会、米国の戦争策動糾弾、自主・平和・統一大会 韓統連、韓青、民主女性会、学生協など、女子中学生日本地域対策委員会は15日、都内でシン・ヒョスン、シム・ミソン追慕大会と「6・15南北共同宣言貫徹!米軍の戦争策動糾弾!自主・平和・統一のための在日韓国人大会」を開いた。 参加者らは集会後、銀座をデモ行進し、駐日米大使館への抗議活動を行った。 大会決議文 われわれは、全民族の統一綱領である6・15共同宣言3周年を記念し、共同宣言を高く掲げ、わが民族同士力を合わせて米国の戦争策動を阻止・破たんさせ、自主と平和、統一を実現させるとの非常な決意で、今日この場に結集した。 歴史的な南北首脳会談と6・15共同宣言の発表は、南北間の長い反目と対立の時代に終止符を打ち、和解と団結、統一の時代を切り開いた偉大な歴史的快挙であった。共同宣言に基づく当局・民間を問わぬ南北の相互協力と交流の進展は、民族の和解と大団結意識を拡散させ、すべての民族成員の心に、わが民族同士との確固たる信念を植えつけた。民族共助は自主と民主化を進展させ、平和をわが祖国にもたらした。共同宣言発表後の3年間は、分断以後もっとも南北関係が安定した、平和で統一の希望に満ちあふれた歳月だったといえる。 ところが現在、6・15共同宣言を貫徹する闘争の前途には、厳重な難関と障害が作り出されている。それは米国の戦争政策であり、それに追従する国内の守旧保守勢力の反統一策動である。 ブッシュ政権はイラク・イラン・北朝鮮を「悪の枢軸」と名指して、先制核攻撃の対象だと公言し、ついに全世界の反戦世論を無視してイラクへの帝国主義侵略を強行して軍事占領した。彼らはいま、「次は北朝鮮」だとけん伝し、朝鮮半島の核問題を口実にして、北朝鮮への圧迫包囲網を構築しながら、「追加的措置」「より強硬な措置」だなどと挑発的な発言を繰り返している。米国は実際に、駐韓米軍の対北戦争能力の強化を決定したばかりでなく、韓国軍に軍拡を強要し、北朝鮮の地下施設を攻撃するために小型核兵器の開発に着手するなど、戦争準備に拍車をかけている。 また日本は平和憲法を踏みにじって、米国が始める「第二次朝鮮戦争」に参戦するため有事法制を成立させた。国民を戦争に動員するマスコミの「反北朝鮮キャンペーン」と政治家の妄言は、すでに危険水位を大きく越えている。 祖国での戦争の脅威は米国の対北敵視政策から生まれており、イラク侵略で露骨に現れた限りない帝国主義的覇権追求にある。 われわれは、米国が北朝鮮への敵視政策を放棄して不可侵を満天下に明らかにし、対話によって包括的な解決に乗り出すように強く要求する。 韓国政府は現在の未曾有の民族的危機を、6・15共同宣言の基本精神である民族共助の立場を堅持して、米国の戦争政策を抑制し、平和解決を主導しなければならない。 われわれは今後も、祖国での戦争を阻止し、米国の戦争策動を破たんさせるため、6・15共同宣言を高く掲げ、自主と平和のために一層奮闘する。また、米軍装甲車に無残にひき殺されたヒョスンとミソンとの約束、「事件の真相究明!殺人米軍の処罰!ブッシュの公開謝罪!SOFAの全面改定!」を実現するため、国内外の女子中学生汎国民対策委と固く団結して闘争していくことを明らかにしながら、以下のように決議する。 1. 6・15共同宣言を固守・貫徹し、民族の自主権と平和を守り祖国統一を促進するための運動をより強力に展開する。 1. 米国の核戦争策動に反対し、核問題の平和的解決を図るため、米国に対北朝鮮敵視政策の中止と朝米間の不可侵条約の締結を強く要求する。 1. 韓国政府は「わが民族同士」の立場を堅持して民族共助をはかり、核問題解決の平和的手段以外のいかなる方法にも反対する自主外交を展開せよ。 1. 日本政府は平和憲法を順守して軍事大国化の道を歩まず、朝日ピョンヤン宣言を誠実に履行しろ。 1. 米国は女子中学生れき殺事件の真相究明と関係者の処罰、ブッシュ大統領の公開謝罪と不平等なSOFAの全面改正など、遺族をはじめ韓国人の正当な要求を受け入れろ。 2003年 6月 15日 6・15南北共同宣言貫徹!米軍の戦争策動糾弾! 自主・平和・統一のための在日韓国人大会 参加者一同 米国大使館への抗議・要請文 ジョージ・W・ブッシュ米大統領 貴下 ハワード・H・ベーカー駐日米大使 貴下 われわれは6・15共同宣言3周年を記念し、わが民族同士力を合わせて米国の戦争策動に反対し、自主と平和、統一を実現させるとの決意で、今日この場に結集した。 歴史的な南北首脳会談と6・15共同宣言の発表は、南北の和解と団結、統一の時代を切り開いた。共同宣言発表後の3年間は、分断以後もっとも南北関係が安定した、平和で統一の希望に満ちあふれた歳月だったといえる。 ところが現在、6・15共同宣言を貫徹する闘争の前途には、厳重な難関と障害が作り出されている。それは米国の対北朝鮮敵視政策であり、国連決議もなく、世界の反戦世論を無視して強行されたイラク侵略戦争で具体化している戦争政策である。 ブッシュ大統領は一昨年の一般教書でイラク・イラン・北朝鮮を「悪の枢軸」と名指し、核体制再検討報告で先制核攻撃の対象だと公言した。この発言はいまだ撤回されていない。おらず、それどころか、イラクでの戦闘が終わると、「次は北朝鮮」だとけん伝し、朝鮮半島の核問題を口実にして、北朝鮮への圧迫包囲網を構築しながら、「追加的措置」「より強硬な措置」だなどと挑発的な発言を繰り返している。 米国は実際に、駐韓米軍の対北戦争能力の強化を決定したばかりでなく、韓国軍に軍拡を強要し、北朝鮮の地下施設を攻撃するために小型核兵器の開発に着手するなど、戦争準備に拍車をかけている。 朝鮮半島での戦争の脅威は、こうした米国の対北敵視政策から生まれている。朝鮮半島の核問題を平和的に解決すると再三発言しておきながら、どうして北朝鮮が求める不可侵条約の締結や約束ができないのかわれわれには理解することができない。 われわれは、米国が北朝鮮への敵視政策を放棄して不可侵を満天下に明らかにし、対話によって包括的な解決に乗り出すように強く要求する。 われわれはまた、昨年6月13日に米軍装甲車によって無残にひき殺された女子中学生の故シン・ヒョスン、シム・ミソンさんとの約束を忘れていない。花のような彼女らがひき殺されたのに、加害者が1人もいないという異常な状況は、一日も早く解消されなければならない。そのためには、「事件の真相究明!殺人米軍の処罰!ブッシュの公開謝罪!SOFAの全面改定!」が迅速に実行されなければならない。 われわれは祖国の自主と平和、統一のため、次のことを要求する。 1.北朝鮮に対する敵視政策を中止し、朝米間の不可侵条約を締結しろ。 1.朝鮮半島の核問題を、緊張を高める圧力や追加的措置ではなく対話を通じて平和的に解決しろ。 1.韓国に対する軍事費増額要求や米国製武器の押し売りを止めろ。 1.女子中学生れき殺事件の真相究明と関係者の処罰、ブッシュ大統領の公開謝罪と不平等なSOFAの全面改正など、遺族をはじめ韓国人の正当な要求を受け入れろ。 1.駐韓米軍基地を韓国から撤去しろ。 2003年 6月 15日 6・15南北共同宣言貫徹!米軍の戦争策動糾弾! 自主・平和・統一のための在日韓国人大会 参加者一同 連絡先 〒101-0052 東京都千代田区神田小川町3-6-8 伸幸ビル5階 韓統連 TEL 03-3292-0671/FAX 03-3295-5004 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Jan 16, 2017 11:53:38 PM
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