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カテゴリ:考え方のものさし
趣味の詩吟で現在、「西南の役、陣中の作」を合吟チームで10月27日の県大会に備えて練習中です。5月から大会前まで都合14回の練習を重ねて望みます。 西南の役陣中の作 佐々 友房 雨は 戦袍を 撲ち 風 沙を 捲く 江山 十里 両 三家 壮図 一蹶 窮無きの 恨み 馬を 断橋に 立てて 落花を 看る せいなんのえき じんちゅうの さく さっさ ともふさ あめは せんぽうを うち かぜ すなを まく こうざん じゅうり りょう さんか そうと いっけつ きわまり なきの うらみ うまを だんきょうに たてて らっかを みる ◆ テキストの通釈によると、 雨は激しく叩きつけるように着物に降りかかり、 風も強く、砂を巻き上げるように吹いている。 十里四方の江山の中に、わずか2~3軒の家が見えるばかり。 壮大な計画も思い通りにならず、 今、この地の戦に敗れて、限りない恨みが残る。 最後迄、ともに戦ってくれた馬を断橋に立てて、 ただ落ち行く花を見るのである。 ーーーーーーーーー せっかく、みんなで吟じこむこの詩吟の意味合いを研究してみたい思ったわけです。この吟の時代背景等もちょいと詳しく知りたいと云う探究心がふと湧いたわけです。 参考 : 佐々友房とその時代背景 作者佐々友房は熊本藩士の子として安政元年に生まれました。多感な青春時代に維新と出会い、西南の役には薩軍側につき、薩軍熊本隊の小隊長として参戦。田原坂の決戦に敗れて因われ、十年の懲役刑を受けますが、創傷治療のため帰郷し、西南戦争の薩軍方の記録として有名な『戦袍日記』を書き上げます。その後、明治二十三年、第一回衆議院議員選挙に当選、以後政治家として国粋運動推進の大きな役割を果たしました。一方、生粋の熊本人として、郷里熊本で畏敬され、地元の英才教育に尽力したことでも知られています。明治三十九年没。享年五十三歳。 ーーーーーーーー 西南の役とは、西南戦争/西南の役は、1877年(明治10年)1月29日から9月24日に現在の熊本県・宮崎県・大分県・鹿児島県において西郷隆盛を盟主にして起こった士族による武力反乱。明治初期に起こった一連の士族反乱の中でも最大規模のもので、日本最後の内戦でもある。戊辰戦争に於いては勝海舟と西郷隆盛の話合いで武力回避して江戸城無血開城を成し遂げたのに、なぜ西南の役が起こったのか。 西南戦争の直接的なきっかけは、明治政府が鹿児島県内の陸軍弾薬庫から火薬や弾薬を運び出し、警察官を密偵として鹿児島に潜入させたことです。これらの行為は、西郷隆盛の求心力と鹿児島県の軍事力を恐れた明治政府によるものでした。 また、政府が西郷隆盛の暗殺を計画しているという噂が流れ、西郷隆盛の仲間や不平士族、私学校の生徒から出兵論が巻き起こりました。これ以上士族たちの反発を抑えられないと悟った西郷隆盛は挙兵を決断し、1877年に1万3000の士族を引き連れて出陣しました。 西郷隆盛が挙兵した背景には、次のような事情がありました。 ・政府の開化政策を忌み嫌う士族がいた ・徴兵令布告により武人としての存在意義を失うことに憤る士族がいた ・先祖伝来の俸禄を失う不安を抱える士族がいた ・政府の政策により特権や経済基盤を失った旧士族の不満が徐々に高まっていた お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024/09/21 08:19:38 PM
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