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     トランクルーム貝塚のオヤジ奮戦記

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2019.07.23
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大卒後建築建材金物メーカーで営業マンを4年間やっていましたが、その約30数年前の経験が今となっては非常に役立っています。

と言うのは、配属されたのは「金物部」という主に金物業界のルート営業でしたが、その他に「建材部」「ベビー部門」「ヘルシー部門」と計4つの部門の商材も販売し、「金物」「ホームセンター」「建材(サッシ)」「工具商社」「家電」「家具」「店装」「バラエティショップ」「量販店」「百貨店」「園芸」「ベビー」「通販」「画材」の14の業界と関わってきた経験が、今の「トランクルーム」「不動産」「音楽スタジオ」「卓球場」「自習室」に繋がっているような気がします。

他部門の商材を販売する場合は当然既存のルートで売れませんから、自分なりにイロイロ工夫をしました。

例えばベビーカーを工具商社経由でディスカウンターや通販に販売したり、ビルディング向けの業務用の4mのピクチャーレールを1mと2mにカットしてパッケージに入れ画材店に販売したり、イタリアから輸入しても販売不振で山のようにあった長期在庫だったフラワーポットを園芸業界の重鎮に依頼して拡販したり百貨店の中元に花とのセット販売し在庫を一掃したり、ホームセンターに定番として販売していたカラーアングルをカラーを変えて家電やバラエティショップに販売したり・・・

当時は販売方法をチョット工夫し「切り口を変える」だけで面白いように売れ、大いに自信を持ちました。

この「切り口を変える」という販売手法は、そののち織物工場をトランクルームや音楽スタジオや卓球場や自習室に改造コンバージョンした事に繋がっていったのです。

しかし「夜討ち朝駆け」で朝早くから夜遅くまで仕事をしたお陰で、久しぶりに休みの日曜に娘と会うと「誰かな?」と泣かれる始末・・・(笑)。

4年間でこれだけ一生懸命仕事をして会社に8000万円~1億円ほど「新規売り上げ」として貢献しても、当時手取り給料が15万円では誰でもヤル気を失います。

と言うか、家族4人で月15万の収入では生活できませんし、10年先輩の給料を考えると会社に対して絶望しかありませんでした・・・(涙)。

そんな時、既に斜陽産業だった家業で泉州の地場産業だった織物業が希望の星?に見えたのです。

取引商社から「跡継ぎはどうするのか?」と問われている頃で、親父も最終の返事に悩んでいたようです。

「渡りに船」とは正にこの事で、人生はタイミングだと思います。

更にサラリーマンを辞めたあと家業の「繊維業界」に入った訳ですが、これも感覚的には「単に15番目の業界」という程度の認識でしたので、気負いもせずスッと入れたのでしょう・・・(笑)。

今思えば中身の非常に濃い4年のサラリーマン時代でしたが、この14の業界に加え、当時全盛期を迎えていたウインドサーフィンのパーツ分野(ブーム、ジョイント)に新規進出というのを社長命令で私が責任者として受けていたのです。

この新しい仕事に専任だったらよかったのですが、中小企業でしたので専任は許されず従来の仕事に加えて新しい仕事で、時間的にも精神的にも重圧がのしかかりましたが1番の趣味でしたので、特許庁に出向いたり色んなコネクションを持つ総合商社や樹脂メーカーやアルミニウムメーカーやカーボンメーカーとの打ち合わせも何の苦もありませんでした。

有望マーケットに、これだけ世界中から膨大で色んな特許関連の申請があるのかと驚愕したものです・・・

現実のビジネスでは、あらゆる面で余程したたかでないと生き残れないと・・・この一件が心に刻みこまれました。

結局特許の壁に挟まれ新規事業への進出は断念しましたが、一連の動きでサラリーマンながら若くして「企画」「仕入れ」「販売」の3つの大きなビジネスの流れを掴んだ経験が、私の将来の財産となりました。

学生時代から付き合っていた家内と社会人1年目で結婚し、翌年長女が誕生しその翌年次女が誕生しましたので、20代で3人を扶養しているいうプレッシャーも営業マンとしての「勢い」に転換していったのでしょう・・・

一流大学卒なら大企業に就職できたかもしれませんが、新卒で中小企業のようにイロイロ仕事を任せられません。

三流大学卒で中小企業に就職したからこそ、新卒からイロイロと責任を持たされ新しい仕事を任されたのです・・・それが逆に転業や起業で「吉」と出たのです(笑)。

もちろん当時は、中小企業に就職しても一生サラリーマンでやっていくつもりでしたので一生懸命出世する為に働いたのですが、働けば働くほど自分の努力が給料に反映されないもどかしさや、40代の先輩社員や上司らが業績不振で責任を取らされ不本意にもドンドン左遷や解雇されるのを見て会社の将来に不安を抱いていた時に、一旦家業を継がないと宣言したにも拘らず親父から「戻ってくるか?」という救いのオファーがあり二つ返事で家業に戻ったのでした・・・(涙)。

この時に変なプライドで断ってサラリーマンを続けていたら、それから10年後の会社の倒産で家族を路頭に迷わせていたでしょう・・・(汗)。

テキトーに働いていたら、会社の将来に対する不安もなかったでしょうが(何の根拠もなく会社は安泰と妄信する)、一生懸命働いていたからこそ将来像が見えてきたのです。

人の運命というのは、正に紙一重です。

まァ、1つの業界で20年30年「これ一筋」というのは素晴らしいと思う一方、万一その仕事が周りの環境の変化や時代の流れで無くなったり激減したら途方に暮れると思います。

正に家業だった織物業がそれで、終戦後日本経済を繊維業界が牽引してきましたが、それから70年経って98%減(大阪南部織物組合680社→15社)というのがそれを物語っています。

考えれば当たり前のことで、長年同じ仕事をやっていると、心身ともその業界にしか通用しなくなりますし、それがスペシャリストというものだと思いますが・・・

残念ながら私は、子供の頃から「飽き性」でしたし、それなり集中するものの頭脳的にも身体能力的にも恵まれなかった為に、途中で諦めていた事が多い事、多い事・・・(笑)。

私の特徴は、一旦諦めてもそれを「中途半端」にダラダラと中断する時もありますが趣味で40~50年以上も続けている事です・・・(笑)。

ウインドサーフィン、空手、ドラム、英語、だんじり大太鼓の5つで、60オーバーになった今でも「中途半端に続けている」のがある意味自慢かも・・・(笑)。

特に空手は自分では一生懸命やったつもりでも結果的に中途半端に終わったからこそ、致命的な身体の故障を負わなかったのです。

ウインドサーフィン仲間の平均年齢は50~55歳くらいで、結構みなさん年中されて私より上手な人が殆どですが、私の目標はウインド仲間が殆ど止めた80歳までウインドサーフィンをそれなりに楽しむ事です。

最後の最後まで身体を鍛えウインドをボチボチ楽しむ事で、決して私はそんな楽しいウインドを諦めないでしょう・・・

その静かにメラメラ燃える「気力」・・・ココロを大事にしたいと思います。

それは他の仕事も空手もドラムも英語もだんじり太鼓も同じで、命尽きる時がそれがゼロになっている時です。

まァ完全に辞めてしまったのはゴルフとトランペットですが、再開しようと思えばデキるかも知れませんが・・・

私の場合、家業に戻ってきた時点で「この織物業に一生を捧げる・・・」という覚悟でしたが、まさか57年続いてきた家業を私の代で廃業せざるを得なかった事態に陥るとは夢にも思いませんでした。

イロンナ業界に関わってきた経験で、新規ビジネスや起業する際の利点が他業界への進出に「抵抗が無い」「壁を感じない」のです。

平たく言えば「俺にも出来るんちゃうか?」という軽いノリです・・・(笑)。

言ってみれば、感覚が鈍くなっているアホです・・・(笑)。

真面目で賢い人ほど、考え過ぎてこんなバカな真似は決してしません。

行動に移すことが出来るのは、ある意味バカでないとダメなんです。

もちろん、バカはバカなりに一生懸命に考えての行動ですが・・・・

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Last updated  2019.07.30 06:32:58
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