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     トランクルーム貝塚のオヤジ奮戦記

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2020.06.04
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織物時代の約40年間を振り返ると、高校生の時に「オイルショック」、大学生の時に第2次オイルショックを経験し、サラリーマンを経て家業を継いで数年後に「バブル崩壊」に遭遇し、家業を止めて2年後の「リーマンショック」に見舞われました。

「オイルショック」「バブル崩壊」「リーマンショック」という戦後の日本経済の3大不況に身をもって経験したのです。

オーナー経営者以外で3つとも経験した企業経営者は非常に少ないと思います。

大企業の殆ど100%はサラリーマン社長が数年ごとに変わりますので、過去の業績や決算を見ると、3大不況の経験を活かし切れていないケースが案外多いのに驚かされます。

それも、40年間というのはサラリーマンだと新入社員から60歳定年までの期間で、20代の時は誰でも経営に関して何もわからないのは当たり前ですから。

以前、繊維業界の某大手上場企業のサラリーマン社長が会社が大赤字なのに毎晩キタ新地で飲んだくれているという話を、そこの社員が嘆いていました・・・(笑)。

大企業のサラリーマン社長は会社の銀行からの借金に対し個人保証をしていないので、そこまで仕事に対する責任感が無いのか・・・と(驚)。

それ比べ、殆どの中小企業のオーナー社長は銀行に対し個人保証をしていますので、その責任感はサラリーマン社長の100倍はあるかと。

弊社は幸い無借金経営なので、個人保証はしていませんが・・・(汗)。

しかしオイルショックは高校生や大学生で未だ経営に携わっていませんでしたが、両親とも腰痛でダウンして入院した時は、大学を休んで一人で家業の織物業を回していたという意味で経営と言えるでしょう。

不幸の連続のように思いますが、今思うと「上手に切り抜けた」ように思います・・・(笑)。

一体、何故なんでしょう・・・?

私が思うに、小さい子供の頃から織物業という家業を「ずっと過程を連続で見ていた」からだと思います。

小学生の頃から学校の勉強や友達との遊び以外に、「家業」という生業を身近で見て人生の勉強をしていたのです。

この時点で「家業という仕事でお金を儲け、それでご飯を食べているのだ」という意識が芽生えていたのです。

両親が睡眠薬を飲んで昼に寝て、夜中に織物工場で機を織っている姿を見れば小さな子供でも理解できます。

なので、小学生の時はずっと工場に隣接していた祖父母の家でご飯を食べ風呂に入って、夜に叔母さんに家まで送ってもらい添い寝までしてもらうという生活を送っていましたので、日曜しか両親と存分に接する時間がなかったのです・・・(涙)。

確かに寂しかったですが、祖父母や叔母さん達や工場の女工さん達に可愛がってもらっていたので、幼いながらも自分の立場をよく理解していました。

今の実家を親父が1970年に建てましたがその前の1960年代に良質な材木を買い集めていたのが功を奏し、その後田中角栄がぶち上げた日本列島改造論やオイルショックでインフレになっても何も関係がありませんでした。

昔からの100年耐久性があると言われる太い材木を使った泉州伝統の「しころ」建築で(古民家)、阪神大震災も2年前の台風21号の時もビクともしませんでした。

またオイルショックの時は大手商社と寝具メーカーと組んで、泉州の織物業者が織るのが難しいと言われ殆ど手掛けていなかったサテン(和布団用生地)をいち早く生産にこぎづけ、難を切り抜けている親父を身近で見て「ナルホドねェ・・・」と感心しました。

なので、大学卒業後の4年間のサラリーマン時代も、朝5時から2時間織物工場に入っていました。

所謂「二足わらじ」です。

今流行りの「サイドビジネス(副業)」でもないです。

当時は、朝早くから夜遅くまで働き、夏は暑く(40℃90%温湿度)冬は寒い(10℃以下)織物現場でガチャガチャうるさい騒音(100デシベル)の中で仕事をするのが嫌で「サラリーマンで一生食っていく」と親父に宣言していましたが、それでも持病の心臓病を抱え病弱だった親父が心配なので朝だけ手伝っていたのです。

しかし厳密に言えば、3年目でサラリーマンの仕事が多忙を極め、それから2年間だけ完全に織物業を手伝っていませんでした。

一生懸命サラリーマン生活を送った結果、サラリーマンの悲哀を存分に味わい、仕事がシンドイ割に薄給で子供2人と妻を養えないと判断し、親父に頭を下げ「家業に戻りたい」と懇願したのです・・・(涙)。

人生には「結婚、離婚」「仕事(就職、転職、退職)」という2大ターニングポイントがあり、この時の判断が1つの大きなターニングポイントだったのです。

家業に戻って数年後にバブル崩壊に見舞われましたが、バブル前に新工場を建て新しい機械設備を導入していましたので、それほど影響を受けませんでした。

と言うか、バブル前に設備投資をして大きな借金を背負っていましたので、バブルが始まってもオイシイ話に乗ることが出来なかったのが幸いしたのです・・・(笑)。

正に、不幸中の幸いです。

バブル崩壊の10数年後に起こったリーマンショックでは、その2年前に織物業からトランクルーム業に転業していましたので影響を受けませんでした。

という事で、オイルショックもバブル崩壊もリーマンショックも「その2年前の行動」で難を逃れた・・・と言えるかも知れません。

別に2年後の予想していた訳ではありませんが、今思えば小さい頃からの家業をずっと見ていた「勘」が働いたのでしょう・・・

今回のコロナ不況では「その4年前の行動(音楽スタジオ)」が吉とでるか凶とでるか・・・?

「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798  mail: info@sasatani.com

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Last updated  2020.06.04 19:14:14
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