85年の日本一
そして、星野、岡田監督でのリーグ制覇
本当に、オーナーといえば、久万さんでした
渡辺長助さんと、阪神を見守っていてください。
御冥福をお祈りいたします
<久万氏死去>積極的補強で阪神の礎築く
プロ野球・阪神のオーナーを約20年間務め、歯に衣(きぬ)着せぬ発言が時に波紋も呼んだ久万俊二郎さんが9日、亡くなった。90歳だった。
84年オフに就任すると、翌年には球団史上唯一の日本シリーズ制覇。だが、その後は長い暗黒時代を経験する。87年から01年の15年間は最下位が10回。「放言」も飛び出した。主砲の掛布雅之さんが酒気帯び運転で事故を起こすと「欠陥商品」扱いし、当時の中村勝広監督を「スカタン」と呼んだこともあった。
ただ、人気球団ゆえに経営は安定。なかなか抜本的改革には乗り出さなかった。久万さんが危機感を抱いたのは、観客動員が200万人を割った96年ごろからだ。98年の野村克也氏、01年の星野仙一氏と外部からの大物監督招請を決断。03年に18年ぶりのリーグ制覇を果たすと、以降は常に優勝争いに絡むチームへと老舗球団をよみがえらせた。
野村元監督は「球団の心臓部は監督ではなく編成部と直言させていただき、理解してもらえた」と振り返る。かつては「口は出すが、金は出さない」タイプのオーナーだったが、その後は積極的に補強へ投資。金本知憲らをフリーエージェントで獲得し、現在のチームの礎を築いた。