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カテゴリ:郷土の歴史
猪苗代町にある土津神社は一度行ってみたいと思っていたので会津若松市倫理法人会での講演に行った帰路に立ち寄りました。私の車にはカーナビがついていないし、前もって地図で調べてもなかったのですが、会津若松城の鬼門の留石にあたる位置にあり、日本一大きい風水の石碑ということですから、きっとこの辺だろうと勘をたよりに車を走らせましたら神社の目の前の駐車場に一発で到着しました。会津磐梯山の裾野で氣の流れの良いところと云えば東南の位置だろうと車を走らせたわけです。
土津神社の御祭神である土津霊神・保科正之公は、二代将軍徳川秀忠の第四子、三代将軍家光 の弟で、高遠藩藩主・保科正光の養子であり、寛永ニ十年(1643)会津に封ぜられ会津松平家の始祖となった。また徳川300年の基礎をつくったといわれる。 この地に行ってわかったことがあります。会津が長く長州との和解をしていないことの一つに日光東照宮とも比較されるほど豪華絢爛であった藩祖、保科正之の墓所を焼き打ち破壊されたこともあるだろう。 ここの紅葉はとっても美しいようです。秋にまた訪れてみたいですね。 土津霊神之碑は会津藩、初代藩主、保科正之の履歴を石に刻んだ。風水ではこの土津神社は会津若松城の鬼門の位置にあたり、永く会津若松の繁栄を願い、ここを鬼門封じとして神社を置いたとも云われている。風水の石碑としても日本一の大きさだと云われています。 土津(はにつ)神社から奥の院まで玉石を敷いた参道がつづきます。 正面には、会津藩の初代藩主、保科正之公が眠っている。 土津(はにつ)神社は会津藩の心がわかる場所と云われています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009/06/06 10:55:05 PM
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