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カテゴリ:ウォーキング
沼尻軽便鉄道跡を16kmウォーキング。
「高原列車は行く」丘灯至夫作詞、古関裕而作曲のモデルになったと云われる鉄道跡地です。中ノ沢温泉、沼尻温泉から磐越西線・川桁駅まで、そのまま線路巾の道路が推定できるのは全行程の約3分の1程度でした。 昭和43年に廃線になり49年経過しているわけです。青空のもと紅葉の景色の中を気持ちよく歩きはじめましたが最後のほうになると足の裏が痛くなってきました。川桁駅から猪苗代駅まで歩くことになりプラス4kmとなり計20kmの行程となりました。こんなに歩いたの何十年ぶり、バテバテになりました。 帰り路に中ノ沢温泉の花見屋旅館に寄り、1回風呂に入り身体の血行を良くして疲れをとってきました。 明治41年測量、昭和6年修正の5万分の1地形図にこの沼尻軽便鉄道の軌道がみてとれます。この地図を知ったことから沼尻軽便鉄道跡を歩いてみましょうかということになりました。 米国のスタンフォード大学がwebで明治43年の日本各地の5万分の1の地形図を無料で公開しています。国土地理院と日本帝国陸軍で製作されたものです。 沼尻軽便鉄道の車両が展示されている現地に、ウォーキングの5日後の11月11日に確認してきました。現在、猪苗代町に寄贈され、緑の村に展示されていることを知り足を運んだわけです。 「高原列車は行く」を作詞した丘灯至夫氏が子供のころ身体が弱く両親に連れられて中の沢温泉に湯治によく行かれたということです。小野新町駅〜郡山駅~川桁駅~沼尻駅まで移動した思い出の中で、あの軽快な歌詞が生まれた背景に触れてみたいと思ったわけです。 先頭車両はディーゼル車両、客車は2両編成。内装は木製で窓の日差し除けも木製、今見てもなかなかモダンな車両です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017/11/15 02:05:02 PM
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