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カテゴリ:カムカムエブリバディ
思ったよりもアッサリ味だった『るい編』は
『安子編』ネタ振り→『ひなた編』ネタ回収 …の繋ぎというか ある意味、クッション的役割なのかな…と思っていたけど ここまで立て続けだと 『ひなた編』こそが“回収”メインで他は薄味 …という気がしてきた(^^;) …ひじゅにですが何か? 「細かいことは、置いときましょう」by平川 とはいえ、このドラマって ワクワクドキドキはあまりないけど>スマソ ツマラナイってわけでもないし 不快感もない。 言っちゃあ悪いが>言っちゃうけど 不快感のある作品って朝ドラには意外に多いのさ>ひじゅに比 だから、その手のものを見せられるくらいなら これを流しておいてくれれば適当に“ながら見”するからね>何気に失礼? 第20週『19993~1994』 第21週『1994~2001』第100話まで 祖母、母と初恋が実ったのに ひなたはアラサーまで引っ張られた挙句に大失恋。 まあ、時代劇の衰退と重ねているから 簡単にハッピーエンドというわけには行かないのだろうけど。 で、それをピークにドラマは一気に“回収”に雪崩れ込んだな(笑) まあ、回収っちゅーと聞こえは良いけどさ 途中で切れたままだったエピソードに一応オチを付けました! って感じだけど(笑) 算太はサンタクロース姿で踊る …という見せ場があったから、まあ良かったかな。 雉真家は、まさに、るいの中の母へのわだかまりというか誤解を 溶き解すためだけの役割(^^;) 彼らは彼らなりの葛藤とか 少なくとも、これまでの30年(?)の歴史があるはずなのに そこがあまり見えなかったのは残念だったかな。 もっとも、そこまで扱う時間はもうないだろうけど。 雪衣さんは、るいに意地悪していたんじゃないか…という疑いを持っていたけど るいに拘りはなさそうだったから、そんなこともなかったのかな。 ここもまたアッサリ味。 そんな彼女の今の姿は多岐川裕美さんで、勇は目黒祐樹… 若い頃とイメージがあっているとは言い難かったけど>スマソ 2人共、時代劇のイメージが強いから、そこを狙ったのかも?>ぇ こうして、るいの母へのトラウマは氷解。 次はジョー。 トランペットに「さよなら」したってことで取り敢えず解消…と思ったら ピアニストへの変更。 ここはやはり、音楽担当の金子隆博さんをモデルにしているのだろう。 金子さんはサクソフォンを吹けなくなった直後にピアノを始めたそうだが ジョーは30年は経ってからなので、そこはちょっと…って気もする。 るいのトラウマも30年経ってから解消されたわけだから、そこがミソ? そういえば、るいは小さい頃に母が餡子を作る様子を見ていただけなのに 割とアッサリ“たちばな”の味を再現できているから ジョーが決意するまでは30年かかっても、いざ練習を始めたら 比較的短期間でピアノ習得したのも同じことなのかもね。 庶民だと思っていたら実は特殊能力の持ち主!?>ぉ ひなたもネイティブに教えてもらえる英会話講座でもダメだったのに ラジオを聞き始めたら順調にペラペラになったし。 どんだけ凄いんだ、NHKラジオ講座!? まあ、算太の預金通帳と同じく 積み重ね…続けていくこと…が大切と言いたいのかもしれないけど。 さだまさし登場は、ちょっと嬉しかった。 特別、彼のファンというわけじゃないんだけど 『安子編』で声が流れただけで終わったのは勿体ないと感じていたので。 ☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆ http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/3907-d95d9d33 ☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ だんご三兄弟 ノトラダムスが愛した石 カワイミニピアノ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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>ワクワクドキドキはあまりないけど>スマソ
>ツマラナイってわけでもないし >不快感もない。 同感です。 るい編以降、なぜ薄味になったのかを考えてみました。 原因として、特に大きなものは二つあるのかなと思っています。 ひとつ目は、るい編が始まったところで次のことを明示しなかったことです。 ・るいは、母のことをどう思っているのか (母は自分が抱える不幸の元凶。未練は無いし同情の余地なし or 母は気の毒な運命に振り回された人と考えている) ・るいは、母との別れをどう総括しているのか (私を捨てたのは母 or トドメの一言を放ったのは私、謝りたい) ・額の傷をどう思っているのか (母への恨みを忘れないため残している or 母への一言を悔い、自分への戒めのため残している) ・雉真家をどう考えているのか (ひどい目にあった or 恩義を感じている) これらが描かれなかったので、そこから私は るいがなにを考えているのか分からず、共感できなくなり、彼女とともに物語を歩むことができなくなりました。 例えば、母との関係を修復した方がいいのか、それともすっかり忘れて二度と会わなければいいのか、という根幹の部分ですら私にはどう考えればいいのか分からなくなっています。 るいがなにか行動を起こすときも、私はこうした方がいいとか考えられず、ただ視ているだけになりました。 そしてドラマ内の出来事は徐々に他人事になりました。 二つ目は、ストーリーに分岐がなくて、私に「どちらを選択するのか、という悩ましい状況を提示してくれない」ことだと思います。 例えば安子編では、安子が稔と結婚したいという状況で、結婚すべきか、やめるべきかという選択がありました。 私は二人の関係を考えれば結婚賛成ですが、戦争前夜の不安定な状況、上流社会での交流や振る舞い、なにより母美都里の独特の性格を考えればやめた方がいいかも、とか悩まされました。 ところが、るい編では、大阪に行きました→クリーニング屋に住みました→いろんな人と知り合いました→結婚しました→京都に行きました・・・と一本道です。 どちらを選ぶのかという分岐が無いので、私はドラマの中の人たちと一緒に悩む必要がありません。 ドラマ内の出来事はもはや他人事になりました。私は完全に受身状態で画面を視ている感じです。 ドラマはもっと「この時あなたならどちらを選ぶ?」と問いかけて、視聴者を巻き込んだ方がいいと思いました。 -- というのは表向きで、ドラマに巻き込まれるだけの感性が私に足りなくなっているというのが本当の理由かもです。トホホ。 いずれにしても私は「カムカム」を、概ね楽しんでいます。 (2022.03.25 18:40:01)
ありがとうございます。
全くその通りだと思います。 解決は『ひなた編』に取っておくにしても、その間の葛藤は『るい編』でも描くべきでしたよね。 額の傷も雉真家を出たことも人生に対し積極的になれない様子なのも、その背景となる事情は一応は承知しているけれども 飛ばされた年月がどんな作用をしたのか、るい自身がどんな心境ているのか全く描かれなかったですもんね。 話もOne Directionでした。 いや、私、1Dは 『Story Of My Life』はかなり好きなんですが他はほとんど聞いてません>ぇ (2022.03.29 00:17:28) |