生まれて初めて国際線の航空機に乗ったものの、前夜の徹夜に近い引き継ぎがこたえて、美人のスチュワーデスに感心したのもつかのま、深~い睡魔におそわれて、気がついた時にはマニラ空港に着いていた。
ちょ~ど、熱帯特有のスコールが通り過ぎて焼けていた滑走路がみるみる雨にぬれて黒くそまっていった。 このマニラ空港では降りる乗客が降りて、乗り込んでくる乗客が乗り込むだけで機はすぐに出発、次のバンコックに着いた。 ここで給油などをするらしくてかなりの待機時間があって、私たちはバンコック空港にトランジットとして降りた。 しかし、とにかく驚いた。 呼吸困難になるほどの湿気と温度なのだ。 むっとするどころでは無い。 体中の毛穴から汗が噴き出てきた。 言っておくが、当時のバンコック空港ですよ。 先代のバンコック空港ですよ。 空調なんかもなかったんだもの、それは大変でした。 第一、 日本から出発した空港だって羽田空港なんだから。 第二、 乗った飛行機も複葉機なんだから・・・とまでは行かない。 調子に乗るのは止めて先に行きましょう。 ---------------- 話は突如変わるけれど、ずっと後の話、私が中東出張からの帰路、バンコックからJALに乗り換えた時、バンコック空港から横山やすし+西川きよし、両氏が乗り込んできた。 どういう仕事でバンコックにいたのかはわからないけれど、とにかく両氏がバンコックからのりこんできた。 二人とも一人づつのお付き風の人を連れて、離れて行動していた。 心持ち二人とも、ブスッとした表情だった。 まあ、喜劇役者ってほとんど内面(うちづら)が悪くって、家庭などでは暴君で大変だという話を聞いたことがあるけれど、それも昔のことかも知れない。 ただ、基本的に外で人を笑わせることに一生懸命であれば、自宅ではぶすっと不機嫌でなのは当たり前かも知れないと思う。 私でもきっとそうなると思う。 実はそのフライトではそのまま、日本には帰れなかった。 ちょうど台風が襲来していて、日本には着陸できないと言うことで急遽、沖縄の那覇空港に着陸、那覇のホテルで一泊してから翌日日本に帰着した。 多忙な二人のことだから、おそらくスケジュールに穴が空いたのじゃないかな?と思う。 ---------------- バンコック空港では熱帯特有の濃密な空気に口パクパクになりながらも、しっかり名物のタイ・シルクのネクタイを買って機内にもどった。 いよいよサイゴン上空にさしかかった。 しかしサイゴンの街の上空には、鉛色の雲が重くのしかかっていて(自分ながら陳腐な手垢の付いて表現)、街は雲の切れ目からチラチラとしか見えない。 スコールに濡れて鮮やかな赤い屋根と緑の街路樹が見える。 機はユラユラ揺れながら降りていって、ついに滑走路にタッチダウンした。 出迎えには日本系の代理店のヴィエトナム女性が来てくれていた。 ここにもスコールが来た後らしくて、空港から宿舎への途上ではすべてが濡れていた。 道路も泥だらけだったし、路の両側の建物も湿っていたし、その建物や道路脇にいる人間が半裸で猿のように群れて、濡れて、こちらを見ている。 これには軽いショックを受けた。 「う~~む! 遙るけくも、来たものかな~」と思った。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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