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カテゴリ:こころとは
ふと興味を覚えた、わが街を歩く 古くからある道路といえば、奥州街道です。 郡山市内を南北に走る奥州街道(旧国道4号線)が現在もあります。 古いものに興味を覚えるのは年をとったということことかもしれません。現在生きている人間は皆、有史以来、人間と云われてきてからずっと命が途絶えることなく連綿と引き継がれてきた命なのです。家系図が残っているか、いないかの差があるだけで、命が連綿と続いてきた事実は同じです。 健康を考えると歩くということは、内臓脂肪を燃焼する。 ふと体型が太り気味の先輩の歩き方がおかしい。右足の親指を気を使いながら歩いていた。 ふと痛風なのだろうかと思った。食べることは自己セーブしかありません。 口の中に選ぶものと量は自己選択なのです。体重が増えるのは自己コントロールできるかどうかということです。 意識的に自己コントロールできる範囲のことかどうか。 これは、すべてのことに言えることです。 意識とは、自我すなわち自分の心が判断を下す、くださないの結果なのです。 心の判断の結果が形になってあらわれるわけです。 健康も、仕事の進行も、すべてが判断の結果なのです。 自分の心が、どう対処する、どう反応する、どう判断するの結果なのです。 意識の判断するところです。 どう感じるか、感受性という感性、感じる力の感力。 「体力・知力・感力」感力が心へ影響を及ぼし判断を下す材料とする。 心がどう思う、心がどう判断する。心がどう行動するかを選択する。 感力の質は人それぞれです。その人自身の個性によって感力が異なります。 興味を示すもの。反応を示すもの。感応するもの。 すべてそれらは、人ぞれぞれの個性によって異なるものです。 感力がその人の感応となり、行動となる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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