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カテゴリ:朝ドラ-4>わろてんか~おちょやん
裕一を立ち直らせた歌、明日へと向かわせた歌が
2曲とも「鐘」なのが興味深いね。 裕一の曲は鐘の音ってことでせうか? …ひじゅにですが何か? 「希望を持って頑張る人にエールを贈ってくれんですか」by永田 答が見つからず、曲も降ってこず、3日間籠りっ放しだったという裕一。 いや、その間、食事等はどうしたんだよ? 永田家で世話になりっ放しかよ? …と、ついつい思ってしまった(笑) 自分を見つめても見つからない― 確か…ずっと前に梅ちゃんに裕一自身が言った言葉。 外界に触れて、きっかけを掴むことが大事…という様なことだったけど 今迄の裕一は、外界の方からどんどん押し迫って来てたからな(笑) それでも、以前は善意や期待がベースだったのに 戦争中のそれは、まさに「戦意高揚」 裕一自身もそれに「高揚」しちゃってたわけだけど。 戦地の実際を目撃して、大事な人達を亡くして 自分自身の中へと潜り込んで行った。 これでは曲が書けるわけがない。 それが ユリカさんから話を聞き 壁に書かれた永田医師の言葉を目にし 花を植える子供達を見て そうやって、自分から外界に触れることによって答に辿り着いた。 「エール」「応援」 この言葉は何度も何度も出て来た。 タイトルでもあるし 第1話でさんざん強調されてもいたけど それが物語の上で本当に感じられたのは子供時代の運動会シーンのみ。 徒競走の途中で転び、周囲から笑われて立ち上がれなかった裕一を 救ってくれたのは、まさに音楽だった。 あの頃は期待したんだよなあ…このドラマに>ぉ でも、今、ようやく本当の意味での「エール」に辿り着いた。 このために今迄 “ヘタレ裕一とお節介な仲間達” を意図的に描いてきていたのだったら、かなり見直すけど 多分、違うだろうなあ…(^^;) ドラマ上は「変わりません」なのだろうな。 つまり、以前の裕一に戻った…ってことで 覚醒もしくは成長ってわけではないのかも… でも、その様にも解釈できるのだから、良しとしよう>ぇ 「どん底まで堕ちて大地を踏み締め共に頑張れる仲間がいて 初めて真の希望は生まれるとです」by永田 以前、友人とか同僚とかと 各自の人生において落ち込むことがある度に 「どうせ落ち込むなら、とことん落ち込もう。 どん底まで行ったら、後は上昇するしかないから」 と笑い合ったのを思い出した。 勿論、永田医師達の経験とは規模が違い過ぎるけど(笑) それにしても、この長崎のシーンは 吉岡秀隆さんの熱演もあって、なかなかに良い感じだったけど 裕一&音の締めくくり的シーンはナンダカナ… まあ、顛末を明るく示したり ホームドラマっぽさを取り戻したり 夫婦の絆を強調したり …等の意図があったんだろうけど 何だか能天気過ぎ! それに、音も 騒いだ割にはあまり役立ってないし>こらこら お母さんは素敵だったけどね。 まだ未解決なのは智彦さん。 ラーメン屋をアッサリ辞め 戦友(?)の貿易会社に、それもかなり良い待遇で入社。 昨日、吟はラーメン屋で働く夫を見て やりたくもないことを無理してやっている…と解釈していたけど 実際は逆だと思うよ。 以前の智彦さんだったら、今回の貿易会社は プライドにも収入的にも希望にピッタリだったかもしれないけど 以前は見下していたラーメン屋で修業できるほどに謙遜になれた今の彼は 価値観も夢も代わってきているハズだし それにあの会社、何とな~く胡散臭い(笑) 今度は智彦さんが「どん底」を経験し そこから這い上がる物語? ☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆ http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/3746-8874e6fb ☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ チャーシュー 希望ののむヨーグルト 長崎の鐘>古関裕而 昭和日本の歌 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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>希望
糸色望先生(いとしき のぞむ@さよなら絶望先生)なら 「絶望したッ!! 長崎、つまり "九州" を匂わせ、 エール、つまり "応援" を意味し、 どん底、つまり "連敗につく連敗" グローブ、つまり "野球" を連想させてなお 誰も "田中応援部団長" を思い出さないことに、絶望したッ!!」 と絶望してくれると思います。 他にも、歌手として山藤太郎という人選は分かるけど、佐藤久志をスッカリ忘れていることにも絶望しておきたい。 「エール」の どん底はまだまだ下にある。 とは言いつつ、話は上を向いてきたし、あと二十数話で終わることを考えるとドラマは「結」に入るわけで、ここからは明るい話になっていくのがいいなと思います。 プロになって最初にもらった歌詞の「ちょいちょい」の意味に悩んだ裕一は、「モスラの歌」の歌詞をどうとらえて作曲するのか。 今度は明るく苦悩し、成長した姿を見せてくれることを希望します。 (2020.10.23 18:34:26)
私はドラマ内では、史実よりもドラマで描かれた部分とそこから推測される事実が優先されるという考えなので、浦上のカトリックに対する差別問題は無かったものとして(実際のところは本人しか分からないし)人が宗教を深く意識する時って絶望した時ではないのかな?
どん底まで落ちた時、心に湧き上がるのは希望や復興だろうか? 希望すらも失うから「どん底」でその時こそ神の存在を感じたいと祈るのではないだろうか? 私には復興ソングというより、こうした人々を慰め、寄り添うような歌に聞こえました。 とはいえ、長崎の鐘のエピは物語に大きな矛盾もなく、戦時中のエピより私は良いと思う。 -- 智彦さんの話は週を跨ぐとは思わなかったけれど、分かり易く嫌な奴なので(またこのパターンか)「人生に大切な物はそんな事じゃないんだ!」と気付くといったところか(引き出し…) (2020.10.23 21:38:43)
ありがとうございます。
私も団長を思い出しましたよ…ドラマなのだから、ここは彼を出して以前のエピとの繋がりを描いてほしいな、と思いました。 『モスラ』のエピが入ると嬉しいですね>今迄の作品とちょっと毛色が違うから面白そう 私、歌が出て来るのは未見なんですが(何かの番組で、そこだけチラッと観たことはある)モスラが出て来る映画を比較的最近TVで観ました。 題名は覚えてないんだけど、モスラが死に、子供達が活躍する話で…そこは健気なんだけど 人間達が彼らに頼りっぱなしで、高みの見物を決めていて、勝手に最後は盛り上がっていて…何だか腹立たしかったですよ(^^;) (2020.10.28 16:19:06)
ありがとうございます。
「まだ何とかなる」と思っているうちは自分や他人に頼っているということだし 「何で自分がこんな目に」と思うのは、自己憐憫かな…と思うので>いや、私がそんな状況に陥ったら真っ先に泣き言を言うと思いますが(笑) それらを振り捨てた時、神を感じる→希望を抱く…ということかなあ、と勝手に考えていました。 このドラマのことですから、それほど深く考えずに作ったのかもしれないけど(笑) 今回、吉岡秀隆さんが凄く雰囲気を作ってくれていたので良いエピになったと思います。 (2020.10.28 16:32:52) |