テーマ:クラシック洋画(5)
カテゴリ:M【映画】 女優
先ほど(午後6時50分)終わった「ジャンヌ・モロー語る」というテレビのインタビュー番組を何気なく見ていたら面白くなって、結局最後まで見た。
このアクターズ・ステュディオ製作の番組はいろんな映画俳優を招いてインタヴィューをするのだけれど、今まではほとんど見ていない。 この頃の俳優にはあまり興味のない私だから。 しかし、ジャンヌ・モローはもうだいぶ古い女優で、私が見る映画の年代の女優だ。 ジャンヌ・モローの映画はそれほど観ていない。 先ず「黒衣の花嫁」。 それから退廃したヴェネチアの海水の匂いが漂うような「エヴァの匂い」。 しかし、彼女がデュラスの「愛人・ラマン」に出演していたとは・・・彼女の出演場面を覚えていないな~。 (後にぴーたろーさんから、モローは、女主人公の独白というか、ナレーションを担当していたことを教えられる) 彼女の父はフランス人、しかし母親はイギリス人だと言うことは知っていたが、その母親がダンサーで少しアイリッシュの血が混じっていたというのは初耳。 モローはさぞや上流家庭で育ったのだろうと思っていたが、どうもそういうわけではなかったようだ。 英語は流ちょうだが特に知的なというほどのものでは無く、それに明らかにフランス訛りがある。 また20歳の史上最年少でコンセルヴァトワールに入団というのも、意外だった。 役者としての素質が認められたのだろうか。 ―――― ◇ ―――― インタヴィューのさわりどころだけをメモってみよう。 ーーーー ◇ ーーーー ジャンヌ・モロー(=以下、JMと省略する) (司会者=以下Qと省略する Q&AのQである司会者というより質問者であるからだが) JM 内気であることは俳優にとって特別な宝物。恥ずかしさに打ち勝って演技することが重要。 JM (ある舞台を観て感激して)私は舞台に立つ人間だと自分で悟った。観客席に座る人間としてではなくて。 JM (女優になるのに反対だった父に対して)女優は娼婦とは同じでは無いことを証明したかった。 (Qが飲み物のコップを差し上げて、JMに) 「あなたの愛に!」といい、 JMがこれに応えて 「あなたのにも」と応じる)。 (私の経験からはアメリカ人の男は案外普通はこんなキザなことをあまり言わないと思うのだが、このインタヴィューが行われたのはパリだから、司会者も合わせたのかな?) Q (当時ヌーベルバーグの映画に出演していて)映画の歴史を変えているという自覚はあったか? JM イエス。 「突然炎のごとく」を制作中に、パトロンがヌーベル映画に驚いて資金提供を打ち切ったために予算が不足し、スタッフ同士もいろいろ協力し合い、私はスタッフの料理を作っていた。 監督はそのために私の出番は12時近くにはしなかったほど。 Q 映画では監督の指示に従って演技をするのか?自分の理論で演技するのか? JM 監督の指示に従う。私は制約を好む。制約の中で演技する。だから俳優業は魅力的。自分のインスピレーションで演技する部分は少ない。例え自分の考えだけで演技しても、そんな演技はお風呂の中に垂らしたワインのしずくのように薄まって流れてしまう。 が、それでも俳優は他人のものではない太古からの潜在的な記憶をもっている。 (この部分は興味深い) そんなものが制約の中の演技にも生きてくる。 JM 「黒衣の花嫁」の女主人公(男を次々と殺す悪女)は黒い蜘蛛なのだ。 王女メディアでもあるのだから、自分に不当なことをした男達を処刑しなければならない。 メデューサでもあるのだから、彼女の目を見た男は石に変えなければならない。 Q 他の俳優から影響を受けたか。 JM ノン。(役者の名はあげない)。作家から人生を学んだ。スタンダール・神話・フローベール・ゲーテ・ジョイス。 愛読書はデュラス。 (私の知るところでもモローはデュラスと個人的親交があった。 デュラスは私の好きな作家。 ヴィエトナムで育った自伝的映画「愛人・ラマン」がある。 私はモローには、どこかデュラスに人間として似通ったものを感じる。) JM 俳優は美を他人に伝えることができる。 JM 好きなことは「新しい発見」。 (ここは同感) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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