復刻日記 ヴィエトナム編 PART 9
「カーヒュー」という言葉がある。 curfew フランス語 ネットで調べてみよう。 外出禁止令(時間帯)、門限、日暮れの鐘 戦争などの緊急事態に出される夜間外出禁止令や未成年の深夜外出禁止法令、あるいはその時間帯 また、その時間を告げる鐘やチャイムの音、夕暮れに鳴る鐘の音の意味 語源はフランス語の covrefeu、つまり cover fire の意味で、暖炉などの火を消えないように灰を被せる、いわゆる「置き火」らしい。 私の駐在時のサイゴンは夜12時から朝の6時まで完全な夜間外出禁止令(カーヒュー)が布かれていた。 この場合は単なるcurfewというより、a wartime curfew 戦時下夜間禁止令 とか military curfew 軍事的夜間禁止令 と表現した方が適当かと思う。 この外出禁止令に背いて夜間外出をするとどういうことになるか? 検問をするには軍隊・憲兵・警官などがいる。 一応、推何(すいか)(何者だ?というような問いかけ)はするだろうけれど、運が悪ければそのまま射殺されてしまう。 夜中の急病人などはどうするのだろうと、よく考えたものだけれど。 当時、日本人医師が二人出向していたサイゴン病院の医師の話では、カーヒューの時間に撃たれ、腹部に数十発の銃弾を撃ち込まれた患者が運び込まれたことがあるという。 歓楽街に遊びに出るのはいいが、こんな事情でサイゴンではそれも12時までだ。 いや、12時には自宅に帰宅していなければ射殺される恐れがあるのだから恐ろしい。 ~~~~~~~~~ ここまで書いてきて、BBSをのぞいてみたら bikeikoさんが、「いきなり射殺されるのでは、恐ろしくて外出できませんね」と書いているが、「外出できない」では無くて「外出してはいけない!」のだ。 以前書いたように、夜間にはヴィエトコン(共産ゲリラ)が跋扈していたり、極端な例では大部隊でサイゴンを攻めてきたり(いわゆるテット攻勢といわれている)から、夜間外出禁止令をやぶって夜間外出して居るものは即、敵と見なされるのだ。 curfew というのは戒厳令の一種なのだ。 まさに「戒厳令の夜」ということになる。 だから12時をすぎれば軍隊のトラック以外はそれこそ猫の子一匹通らない静寂となる。 ~~~~~~~~~ 遊び友達の一人に日本レストランの経営者がいた。 彼は宿舎に麻雀に来て、麻雀が終わったらナイトクラブに行く。 そのナイトクラブ行きによくつきあった。 サイゴンのナイトクラブは大手のものが数軒あった。 最大手はカティナ通りにあったマキシム。 銀座通りのようなカティナ通り、これはフランス植民地時代のフランス風呼び名で、ヴィエトナム風には「ツゥー・ドォー」、自由という名の通りだ。 もっと正確に言うと「トゥー・ドォー」とうのはサイゴン訛りの、南ヴィエトナム訛りの呼び名で、ハノイの正統ヴィエトナム語でこれを呼べば「トゥー・ゾォー」と発音しなければいけない。 (一応うんちくを披露しておこう) このマキシムは正統派で格式高い。 ショーも豪華。 真っ暗な中にアオザイを着たヴィエトナム美人のホステスが一杯いて、私達がテーブルにつくとママさん(中国風にタイパンと呼ぶ)が応対してくれて指名のホステスを聞いてくれる。 ホステスは大抵番号で呼ばれていて「15番」という風に番号で指名する。 ヴィエトナムでは、少なくとも当時のヴィエトナムでは、ナイトクラブでも、米兵バーでも、とてもお行儀のよい世界だった。 ホステスが隣に座っても、お話をするか、ダンスをするかぐらい。 ステージではヴィエトナム流行歌の歌手がすすり泣くような哀しげな叙情的なヴィエトナムの曲を歌う。 そんなうちにそろそろ11時も過ぎてシンデレラ・タイムとなる。 普通ならそこで慌てて帰る所なのだが、このレストラン経営者はやっかいな性格の人で、最後の最後まで粘るのだ。 ホステスや従業員が帰る時になってもまだ飲みたがる。 結局12時まであと十数分という時になって、やっと車に乗る。 「おい!あと10分しかないよ!頼むよ!」 彼もさすがに必死になって夜のサイゴンの街を爆走する。 手に汗を握る境地だ。 私の宿舎に着くのが12時だったりする。 そこから彼はさらに自宅へ戻らなければいけないのだ。 キキ~~!!とタイヤをきしませながら彼の車が消え去る。 後年、私はインドネシアのジャカルタで彼と再会した。 毎晩あんな事を繰り返しても、何とか射殺されずに生き延びていたらしい。 しかし、悪い癖は直っていなくて、ジャカルタでも、真夜中までつきあわされてしまった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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