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復刻版日記
言語学では二ヶ国語以上の言語を自動的に切り替えて使うことをコード・スィッチングというそうだ。 もし言語というものの定義に方言も入れると、私は日本語において方言のコード・スィッチングをしているのかも知れない。 生まれ育ったのが大阪で大学以降は東京。 ふだんは東京弁というか標準語というか、共通語というのが政治的に正しい言い方らしいが、それをしゃべっている。 二ヶ国語を自由にしゃべれる人をバイリンガルと言う。 それが多国語にわたればマルチリンガルと呼ばれる。 ―――― ◇ ―――― 私は生まれも育ちも大阪である ただ、私の大阪弁はもともとあまり濃いものでは無かった。 両親が共通語に近いものをしゃべっていたし、大学から東京に移ってそのままだから、大阪アクセントの痕跡はほとんど無くなった。 しかし、最近大阪に帰ってきたので、また大阪弁とのつき合いがはじまった。 あ、それから海外出張が多かったから、英語のアクセントも相当混じっている・・・って、もちろんこれは冗談。 そこまで英語になじんでれば世話はないんだけれど・・・。 ―――― ◇ ―――― 私の大阪での経験から言えば、濃い大阪弁をしゃべる人々の筆頭と言えばやはり商人階層の人々だと思う。 商いというものは、相手に気をそらさないように柔らかい受け答えをしなければいけない。 しかし商売だから、言いたいことはしっかり言わないと商売にならない。 この矛盾を見事に解決している言葉が大阪弁だと思う。 ズケズケ言いたいことをしゃべっても、相手にそれほど気を悪くさせない柔らかさ・ボケ味がある大阪弁が、商売をするには機能面で断トツだと思う。 ビジネスの場で、商売の交渉で難しい場面にさしかかると、急に大阪弁もどきに切り替えてしゃべる人が結構いる。 きっと無意識に大阪弁の商売機能を利用しているのだろうと思う。 ―――― ◇ ―――― 私の場合、普通は共通語をしゃべっているのに、相手が大阪弁をしゃべる人だと、徐々に私なりの大阪弁になってゆく。 つまり状況(具体的には話し相手の言葉)がコード・スィッチングを促すわけだ。 逆に、大阪にいても、初対面の人と話す場合や商店でものを買う時などは、かならず無意識の内に共通語になっている。 なぜこうなるのか? 不思議でいろいろ考えてみたのだが、多分こうだろうと思う。 もう完全になじんだつもりでも、私の無意識の中に、「共通語は改まった言葉だ」・・・という意識があるのだと思う。 改まった状況が改まった共通語を促すという、これもコード・スィッチングだと思う。 私の娘と話す時は、私の娘が共通語だから、私も共通になる。 それに外国で教育を受けた娘と対話ししていると、私の説明が英単語混じりになって、いつも娘に笑われる。 これは、英語の方が娘にわかりやすいだろうという配慮と、もうひとつ、英語という言語が非常に論理的・分析的なので、説明と言うことをする場合には日本語より正確な客観的な説明が出来るからだ。 私は出来るだけ正確な表現をしようという意欲(意欲だけだが)が強い人間なので、ついついこだわってしまうのだ。 もう一つ、商社の人間同士での日常会話や支店間の連絡は、どうしても商売柄、英単語がかなり混じるので、その影響もある。 方言バイリンガルである私が、意識的に共通語と大阪弁を使い分ける時もある。 上に述べた商社員のケースと同じで、共通語で話す会話の中で、わざと特殊効果を狙って大阪弁で話すことがある。 相手にすり寄って、「ゴロニャ~~ン!」状態の時には、たいてい大阪弁になっている。 「お互いリラックスしましょうよ」という意図を相手に示す時に大阪弁を使う。 ザックバランな雰囲気を会話に持ち込みたい時にそうする。 私にとっての大阪弁は、くだけた、相手との共感を確認する、相手との心理的な距離を縮めるための言葉だと思う。 大阪弁自体にそんな機能も内蔵されていると思う。 ―――― ◇ ―――― 余談だが、共通語で「違う」と言うことを、大阪弁では「ちゃう」という。 共通語で「違う 違う」と言うところ大阪弁では、「チャウ チャウ」となる。 中国産の犬で、チャウチャウという犬がいるから話がややこしくなる。 大阪人同士のカップルが公園のベンチに座っていて、そこへチャウチャウが散歩に通ったとする。 女性「ちょっと、アンタ! あれチャウチャウとチャウ?」 男性「あれはチャウチャウとチャウん、チャウか?」 女性「チャウチャウとチャウんチャウか?ゆーたって、あれはチャウチャウ、やって!」 男性「そ~やない、あれは絶対チャウチャウとチャウ!」 女性「あれは絶対、チャウチャウや!」 男性「なにゆ~てんねん、チャウチャウとチャウゆーたら、チャウ!」 ???? 大阪人以外はいったいなんのことやら、わからないだろうと思う。 ―――― ◇ ―――― 関西出身者だが現在は首都圏で暮らす人というのは多い。 その中では共通語アクセントをほぼ完全にこなす、【国内版バイリンガル】がいる。 私もその一人だが、他の地方の出身者の場合と違って、アクセントが共通語とほぼ反対の関西出身者が、【共通語とのバイリンガル】になるには、下記のハードルを跳び越さなければならない。 ★ 大学入学までに東京に移り住むこと。 大学までベッタリ関西で過ごすと、関西アクセントは消えない。 年令と音感の発達には関係があると思う。 絶対音感というものがあるが、多分これも何歳までかに習得しないと、大人になってはダメだろうと思う。 同じ様なことが英語でも言えそうだ。 私の同僚に子ども時代に二年ほど英語の環境で育った男がいた。 すぐ日本に帰ってきたから英語は忘れてしまっていたそうだ。 だから学校で英語を普通の日本人として学習した。 英語の総合力は私より劣るのだけれど、不思議なことに、しゃべらすと、発音だけはネイティヴ・スピーカーなのだ。 ある時アメリカ人が私に電話してきて、彼が先にその電話を取ってから私に渡してくれたのだが、そのアメリカ人が「今電話にでた男はアメリカ人か?」と聞いてきた。 繰り返すが、英語の総合力では!私より劣る!!(特に強調)。 私の英語はお粗末だが、発音だけは、たいていの人間よりいいと思っている。 それなのに、その男が私より発音がいいとは悔しいではないか? ★ 家庭で関西弁アクセントが薄いこと。 商家などで濃い関西弁をしゃべっていると不利。 その点、私の環境は共通語的だったので楽だった。 ★ 音感がいいこと。 上にも述べたが、関西弁はアクセントが共通語とまるっきり逆。 音感は関西出身者にとってキー・ポイント。 ボキャブラリーは共通語なのに、アクセントは関西弁のまま話す人が多い。 音感の無い関西人には最も高いハードル。 語彙などは覚えればいいのだが、音感はそうはいかないからこまる。 ★ 「イイかっこしい」の要素があること。 関西人からすると、東京弁は「カッコイイ」感じがする。 いや、感じがした・・・と過去形になるかも知れない。 今の関西人は、特に大阪人は大阪弁に自信を持っている。 しかし、やはりかっこよく歯切れのいい東京弁をしゃべりたいという欲求は関西人にもあるから共通語をマスターする動機付けになる。 ★ 関西弁に劣等感を感じていること。 学生時代は大阪弁に劣等感を感じていたので、東京アクセントの習得は早かった。 今は大阪弁に劣等感はほとんど無い。 むしろ今は大阪弁の方が言葉としては豊富で表現力が上だと思う。 せっかくそう思うようになったのに、今の私は大阪弁をスムーズにしゃべれないカラダになってしまった。 基本的に大阪弁のボキャブラリーが非常に少ないのだ。 子ども時代の私は、大阪では近所の狭い生活範囲内だけで暮らしていたから、濃い大人の大阪弁を知らない。 だから共通語のボキャブラリーを、アクセントだけ無理に大阪弁的にして大阪人に対してしゃべっている。 これは、なんだか相手に媚びているようで居心地が悪い。 ★ 最後に言うと、関西の人間が東京などで関西弁のままでいても責めないでやって欲しい。 関西弁は他の地方とアクセントが絶望的に異なっている。 上に述べたように音感の問題もある。 だから、共通弁をしゃべろうとしてもしゃべれない人が多いのだ。 もちろん、中には国内バイリンガルなのに関西弁にプライドを持っているばかりに共通語をしゃべらない人もいるとは思うが。 ―――― ◇ ―――― 関西弁にも色々あると思う。 大きく分けて、京都弁・大阪弁・播州弁(神戸弁)。 大阪弁はさらに下記に分かれると思う。(多分) 船場言葉 北摂弁 泉州弁 河内弁 船場言葉というのは、船場で使われていた上品な大阪弁。 船場の奥さんは伝統的に京都から嫁いでくるので京都弁の影響が強かったという。 現在は純粋の船場言葉をしゃべる人はほとんど無いという。 昔の女優の浪速千栄子さんが船場言葉の使い手だと言うことだから、浪速千栄子さんのしゃべり方を覚えている人は船場言葉のイメージを描けるだろうと思う。 北摂弁は私の住んでいるエリアである北大阪、北摂地方(神戸・大阪・京都の間の地域)の言葉で、大阪弁の中では比較的アクセントが弱い。 ヤクルトの古田捕手は私の自宅に近いところの出身。 その彼がしゃべっているのがほぼ北摂弁。 泉州弁と河内弁は大阪湾をはさんで北摂と対岸になる南の地方。 もっと南になると奈良や和歌山になる。 河内弁は勝新太郎・田宮二郎コンビの映画「悪名シリーズ」を見れば聞くことができる。 しかし、勝新・田宮二郎ともに、京都出身だから、どの程度河内弁をしゃべれているのか? 私には判断がつかない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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