カテゴリ:L 【言語】【日本語】【他言語】
多重言語としての日本語の発達の段階を、私の独断で考えてみました。
また、『日記タイトル』も変えて、大幅に書き直しました。 ★ ★ ★ ★ ★ ★ 初期の段階では、日本民族(縄文民族とも言えると思う)のオリジナル言語は、純粋な大和言葉だった。 この大和言葉には文字がなかった。 ● 1) 万葉仮名の発明 ========== 大和言葉に、漢字(中国語)の音声文字を引き当てて(つまり漢字の音読みで)、大和言葉を文字化した。 これが「万葉仮名」だ。 ● 2) 漢字を訓読みすることで、大和言葉を漢字化した ========================= これで大和言葉を損なうことなく、漢字化することに成功した。 ● 3) 「万葉仮名」から「ひらかな」への移行 ===================== 平安時代に、漢字から「ひらがな」と「カタカナ」という音声文字を発明した。 大和言葉に、この「漢字以外の自前の文字」を与えて、すでに不必要となった音声文字「万葉仮名」から、「ひらかな」への移行に成功した。 これで日本語は「漢字」+「ひらかな」の「2重表記」言語となる。 ● 4)漢字語彙を片端から外来語として呑み込んだ。 ===================== ● 5)カタカナ語に、中国語以外の外国語を外来語として受容。 =========================== 外国語に対しての受容器(レセプター)として、カタカナ語を用意した。 カタカナ語は、視覚的にもカタカナ語は「私は外国生まれの言葉ですよ~」という、注意を払う効果がある。 これによって、中国語以外の外国語を、音声的に受容するシステムが整った。 ここに、日本語は、「3重表記」の奇蹟の言語、「漢字仮名混じり文」を発明したことになる。 外来語の活用機能を備えたことで、日本語は言語として、思考道具として、豊かになり続けた。 しかし、この「3重表記」に加えて、日本語表記なのに英語混じりで、それを「4重表記」としているものがあるという。 それもちょっとうっとうしいい気がするが、世界最強言語かも知れない。 ★ ★ ★ ★ ★ ★ 大和言葉は、もともと文字を書かなかった言語だ。 日本人はおおざっぱに言って、縄文人と弥生人が先祖だが、アイヌ民族(民族と言っていいかどうか・疑問なのだが)と琉球民族は縄文人の末裔。 彼らも文字を持たない民族。 これに対して中国語は文字の国。 しかも数千年前から、三国志に見られるような高度な政治体系があった。 大和言葉は文字を持たないだけに、ひたすら音声的で、自然や感情の素朴ながらデリケートな表現が得意。 あなたがもし、日本の代表的な短詩芸術である和歌などを音読すれば、その大和言葉の音声的な素晴らしさを認識することになる。 いわゆる「声に出して読みたい日本の詩歌」だ。 これに対して、漢字(中国語)は、表意文字だけに意味、特に抽象的概念を表現し得るし、社会・政治に関する語彙が多い。 言い換えれば、漢字は、外来語として縄文人に欠如していた豊富な抽象概念・語彙を与え、政治的社会を構築するに必要な概念・語彙を与え、日本人の思考体系を重層化した。 日本語および日本人は、つくづく貪欲な文化的食欲の持ち主だと思う。 しかも、下で述べるが、日本語は外来語に侵食されないまま、外来語を呑み込む構造を持っている。 外来語は、「漢字」とか「カタカナ語」という特殊な立場を与えられている。 その外来語は、日本人の内面の核(コア)である大和言葉の感情の世界に入り込むことは少なく、その外面を包括する抽象語彙となって、実用的な作業をこなすことになる。 人類の古脳を、外側から包み込む新脳のような関係といえばいいかもしれない。 ※ 古脳(爬虫類や古哺乳類の脳=本能的) ※ 新脳(霊長類を含む新哺乳類の理性的な脳) ★ ★ ★ ★ ★ ★ ●●● 日本語は外国語を呑み込む文法体系を持った言語 ====================== この事を、事例的に説明しよう。 例えば英語の中で、フランス語やラテン語という外国語から、語彙を輸入して外来語として使用する場合である。 ヌーヴェル・ヴァーグ(=ヌーベル・バーグ)というもう日本語になった言葉がある。 フランス語ではnouvelle vagueだが、これを英米人が new wave と、すぐ英語に訳すことは普通はない。 しばらくは nouvelle vague とフランス語のままにしておく。 言葉がこなれて、みながnouvelle vagueはnew waveの事だと認識する段階になってからnew waveと言い換えるか、またはnouvelle vagueと英文の中に「イタリック体」で書いて、「外来語ですよ」と、いわば「注意書き」しながら取り込むことになる。 つまり、外国語での外来語の受容は、抵抗感があまりなくなるまで、しばらくの猶予期間『なじみ期間』『こなれ期間』が絶対的に必要になる。 ● 日本語のカタカナ外来語はすぐ使える ================= その点、日本語だと、『猶予期間』『なじみ期間』『こなれ期間』無しでも問題がない。 いきなりヌーヴェル・ヴァーグである。 そのまま日本語になって行く。 「新しい波」なんて言葉は、国立国語研究所が動かないかぎり出てこない。 それに印欧語の場合、例えば英語では「私」という単語は「I, my, me」のように体言(名詞類)の形そのものが変わったり、語尾変化によって単語の形が変わる。 しかし、日本語では(朝鮮語でも同じらしいが)、体言は単語本体の後ろに「-が、-の、-を、-に」などの、助詞が付くだけで済む。 これを言い換えると、例えば、 ● 外来語として英語にとりいれられたフランス語は、格変化も出来ないし、時制の変化も出来ない。 原形のまま金縛りである。 その点、日本語のカタカナ外来語は、外来として日本語に入り込んだとたんに活躍できる。 ● 「日本語の語彙同様に自在に働くごとが出来る」。 ===================== 「・・・する」を付けると、動詞としても、すぐに使える。 「・・・な」を付けると、形容詞としても、すぐに使える。 「・・・に」を付けると、副詞としても、すぐに使える。 外国語を体言としてとして取り込めば、すぐそのまま使える。 「ヌーベルバーグが」 「ヌーベルバーグの」 「ヌーベルバーグを」 「ヌーベルバーグに」 ・・・と言う風に。 ● 外国語を音声的にカタカナにすれば、英語だけでなく、何語でも日本語になる。 ============================== 言語の文字・スペル・発音・アクセントなど関係ない。 (これが、逆に言えば問題なのでもあるが) フランス語の「ジュテーム」でも、イタリア語の「アモーレ」でも、スペイン語の「テキエロ」でも、ドイツ語の「イッヒ リーベ ディッヒ」でも・・・。 ● 外国語をカタカナ語外来語にするのには、だれでも自由に出来る。 =========================== 国立研究所の作業もいらない。 文部省の許可も要らない。 日本国民総意の承認・認知・理解も要らない。 各個人が、自由勝手にカタカナで書くだけで済む。 そのカタカナを読んで、その言語がわかる人は、そのカタカナ語の原語の意味がわかるからだ。 英語の中のフランス語だと、これは出来ない。 この点、日本語は実に偉い! 「デートする」「ランデブーする」「キスする」「フレンチキスする」・・・。 オイオイ! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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