カテゴリ:F【外国】での想い出
パリのマダムとの想い出 PART FOUR
私はもともと品性の高い人間なので、いままで、あからさまなセックスの話は控えてきたが、最近は、例え品性の人間と言えどもセックスの問題を無視したり通り過ぎたりすることは出来ないと言うニュートンの重力の法則、いや相対性原理かな? に行き当たり、適当にセックスの問題を日記に書くことにした。 楽天広場は、コージーな、なごみの日記、日常の話題の日記、それに商売の日記が多い。 それでは、そこで「セックス」は、日常の話題かというと、そうではない。 しかし、成人した人間にとってセックスは、少なくとも毎日一回の義務であり、(私は毎月に一回か、毎年一回の義務にしてもらっていた・・ それは個人的な事か )、いわば裏日常なのだが、人々はその話題を書かない。 セックスはなぜ恥なのか? すぐ思いつく理由は、セックスの行為中は無防備だということだ。 原始時代の人類が洞窟の中で、夢中で行為していると、虎や狼にお尻を噛まれるかも知れないし、天井からぶら下がっているコウモリなどに覗きをされるかもしれない。 ゆかしい日本武士は、それをおもんばかって、「早飯・早ぐそ・早・・・・行為」という黄金の三原則を固く守っていた。 言うまでもなく、食事中・脱糞(排泄)中・性行為中には、大小(刀剣)を身体から外さなければいけない。 主君のために24時間体制で忠義を励むべき武士がこれではいけない。 しかし、この三行為は人間として、欠かせない必要悪であるし、そこそこ気持ちがいい。 全く気持ちがよくなくて、義理の場合もあるが、気持ちがいいふりをしなければ、イケナイ場合というものは、人間が生きて行く上に多々ある。 そこで、その必要悪を最短時間にしようと言う崇高な志が、この「三早主義」の中に、ほのかにかいま見れる。 もう一つの理由はやはり、人類は種族保存・繁殖目的に与えられた性行為を、みだらに、目的外の快楽目的に使用している・・・、て言うか、濫用しているという事と、自分はしょせん動物であるという厳然たる事実に、深い自責と悔悟と恥の感覚を持っているらしい。 皇太子ご夫妻とちがって、我々の子どもは,コウノトリが運んでくれたものではなくて、我々の、夜間労働の汗の結晶なのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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