カテゴリ:🔴 C 【文化・歴史・宗教】
Katiebooksさんの日記にこういうのもあった。
「なんでも鑑定団」の岩崎鑑定士の唱える値段の法則 セルロイドの玩具・キューピー人形などに関連して想い出すことがある。 戦後、占領軍時代、ある日本の会社が「MADE IN USA」というロゴ入りの玩具を米国などに輸出して儲けたそうだ。 米国から「MADE IN USA」を名乗るとはけしからんと苦情が来た。 そうしたら、その会社の所在地、宇佐市の市長が、「USA すなわち「宇佐」は日本の古代からの由緒ある土地である。アメリカごとき新興の国とは歴史がちがう。こちらが先輩なのだ!」と、突っぱねたら、米国側はそれ以上追求してこなかったという。 戦後すぐなのにサムライがいたものだ。 アメリカの歴史コンプレックスが見え隠れするようでもあり、なにかおかしい。(笑) 宇佐については、うさうさ・・・、いや、「うすうす」知っていたが、あらためてネットで検索してみたら次のような紹介があった。 Web site のHPの名前がないのでURLのみ紹介する。 ~~~~~~~~ http://www.pref.oita.jp/10400/toyo_info/m2/menu.html 八幡宇佐神宮 宇佐神宮(宇佐市) ”八幡様”は、多くの日本人に最も親しまれた神様であろう。その総社が八幡宇佐宮(宇佐宮、宇佐八幡宮とも、本殿は国宝)である。宇佐宮は大分の古代史の鍵をにぎっている。八幡宇佐宮の起源は、多くの謎につつまれている。元来は、宇佐地方の部落国家統合の農業神であったという。そして、地元の豪族宇佐氏、渡来系の豪族辛島氏、大和系の豪族大神氏によって維持されていたと考えられる。ここに、ひとつの大分の歴史・文化の特徴、”国際性””融合性”の起点がある。 八幡宇佐宮が文献に出るのは8世紀の前半が最初である。当時の政府が朝鮮半島や大陸との関係や聖武天皇の病気平癒など国事に関することで祈願することが多く、鎮護国家の神であった。また八幡宇佐宮は当初から仏教との関係が深く、日本で最初に神仏習合をし、八幡大菩薩となり、神社と一体化した弥勒寺を建立している。神仏一体、融合の神が宇佐八幡宮であった。9世紀には山城国(京都府)石清水八幡宮が造られ、やがて源氏の氏神鎌倉の鶴岡八幡宮など全国に八幡宮が勧請されていった。 八幡宇佐宮と大和政権 東大寺大仏造立は、八幡宇佐宮の全国区へのデビューの事件であった。聖武天皇は発端から八幡宮の託宣(お告げ)を受け、黄金の不足には託宣によって陸奥国に黄金が発見され、八幡神は東大寺の地主神となった。大仏の開眼にさいして都にのぼった八幡神は、日本で初めて神位をうけ、最高の領地を受けた。地方の神が大神宮となり、朝廷から”宇佐使”が派遣されることとなった。 八幡宇佐宮の名を、よりひろめたのは”道鏡事件”であった。聖武天皇と光明皇后の間に生まれた称徳女帝は、弓削道鏡を寵愛し、太政大臣禅師から法王にまで昇進させた。こうした折、宇佐宮は”道鏡を天皇にすると天下太平になる”との託宣を出したという。称徳女帝は、それを確かめるために和気清麻呂を宇佐へ派遣した。宇佐宮の神託は道鏡の期待を裏切るものであった。道鏡は失脚した。以後、天皇が即位するたびに使者が使わされている。宇佐宮は中世には九州随一の荘園領主となり、独自の文化をつくった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[🔴 C 【文化・歴史・宗教】] カテゴリの最新記事
|
|