テーマ:世界の歴史(89)
カテゴリ:🔴 C 【文化・歴史・宗教】
私は、以前、イタリアのシチリア島、シシリー島ともいうが、マフィアの産地で、そこで私は娘と夏をすごしたことがあった。
私の一番好きな詩人のひとりである西脇順三郎の詩集『Ambarvalia』に収められた「太陽」という詩がある。 ~~~~~~~~ 「太陽」 カルモヂインの田舎は大理石の産地で 其処で私は夏をすごしたことがあつた。 ヒバリもゐないし、蛇も出ない。 ただ青いスモヽの藪から太陽が出て またスモヽの藪へ沈む。 少年は小川でドルフィンを捉へて笑つた。 ~~~~~~~~ 私は西脇順三郎になったつもりでシチリアでのヴァカンスを楽しんだのだが、日本から直接行けば、実に豪華なヴァカンスと言えるが、私は当時、欧州にいたので、その地からのツアーにのって、シチリアを訪れたのである。 料金も、ひとりあたり数万円程度だったかな? その、シチリアにおけるヴァカンスの事を書いてみたいと思ったら(そのうちに書きたい)、一番先に私の脳裏に浮かんだのは、シチリアの実に色鮮やかで多彩なアイスクリームだった。 「こんなヴァリエーションに富んだ、美味しいアイスクリームを食べたことがないぞ!」と思ったものだが、ネットで調べてみたら、私達が日本でなじんでいたのは、アメリカ風のアイスクリームで、欧州系のアイスクリームはアメリカ風のものとは、ちょっとちがって、歴史のあるものだったと知った。 御法度だとは思うが、私がクリッピングしてきた、アイスクリーム関係のネット記事の引用のオンパレードとしたい。 URLを保存していなかったので、リンクができない。 引用先には申し訳ないと思う。 少なくとも、日本アイスクリーム協会のHPが含まれているはずだ。 ~~~~~~~~ ■ 紀元前の昔から氷雪は兵士の士気を高めるための健康食品として活用されていました。その後、アラブ圏の砂糖を使った冷たい飲み物「シャルバート」が、シチリアに渡り、その名も「ソルベット」(イタリア語でシャーベットの意)と変わっていきます。 ソルベットは9世紀頃、国家間の婚姻によってフランス・イギリスなどの貴族の中で楽しまれるようになりますが、まだまだ高級な食べ物でした。 18世紀前半に、シチリア島出身の菓子職人フランソワ・プロコープによって現在のアイスクリームの原型となるホイップクリームを凍らせた『グラス・ア・ラ・シャンティ』が生まれ、パリのカフェで提供をはじめたことをきっかけに一般の人々の中にもアイスクリームが広がることとなります。 こうしてヨーロッパで生まれたアイスクリームは、アメリカに渡り、アイスクリームの産業化が始まります。 アメリカで発達したアイスクリーム産業は、咸臨丸で渡米した徳川幕府の使節団が未知なる西洋食文化として体験することとなります。 そして明治2年、横浜の馬車道に登場した「あいすくりん」により、“アイスクリーム”が初めて日本に受け入れられました。 大正時代にアイスクリームの工業生産が進みますが、発売当初はかなり高価なもので、夏だけの高級なおもてなしデザートであり、気軽に楽しめるものではありませんでした。 第二次大戦後、大量生産のできるアイスクリームマシンが輸入され、工業化の進んだ昭和30年代には人々が気軽に楽しめるおやつとして定着していきました。今やアイスクリームは、コンビニエンスストアでお弁当と一緒に買い求めたり、ショッピングの合間に食べたり、ディナーのデザートとしてレストランで食べるなど、日本人のとても身近で、気軽に1年中食べられる人気デザートジャンルとして不動の地位を確立しています。 ■ ジェラート(gelato)について 金子 千秋 <ジェラートの意味> 語源は不明であるが、イタリア語でアイスクリームという意味であり、凍った、凍らない程度に冷却された、という意味もある。…(6) <ジェラートとアイスクリームの違い> 日本においてはアイスクリームとは、乳脂肪8%以上のものを指すが、イタリアでは乳脂肪による区分は特にない。 ただし、一般的には乳脂肪5%前後のものをジェラートと呼ぶことが多いようである。…(6) また、日本ではジェラートという場合、店内に製造室を持ち、天然素材を使って職人が製造し、できたての新鮮な状態で販売していることが多いようである。…(2) <歴史> 起源 紀元前、世界中の王や権力者達は山から雪や氷を運ばせ、それにミルクや蜂蜜、果汁などをかけて食べていた。 その記録は古代ギリシャ、ローマに多く見られ、例えばアレキサンダー大王が軍の士気を鼓舞するため、果汁に糖蜜を加え、雪で冷やした飲み物を兵士に与えたとか、ローマではシーザーがアペニン山脈から雪や氷を運ばせ、ミルクや蜜などを混ぜて冷やして飲んでいたと伝えられる。 暴君で名高い皇帝ネロはアルプスから奴隷に万年雪を運ばせ、これを保存しておき蜂蜜や果汁等をブレンドして作った氷菓『ドルチェ・ビータ』を愛飲していたという。…(5)、(7) そして、中国やアラブでもこのような氷菓は作られていたようである。 イスラム圏の古い物語「千夜一夜物語」にも砂糖を使った甘い飲み物「シャルバート」について語られており、中東地域では古くからサルタン(回教国の君主)などが雪や氷を利用する習慣があったという。 このシャルバートとは、食事や入浴の後、病後や疲労の回復、祝宴の際飲まれたといわれ、ショ糖の液に果汁などを入れ、香などで風味付けされ、氷や雪で冷やしたものであった。 このシャルバートの伝来の経路はアラブ人の交易、十字軍の遠征などとはっきりしないが、とにかく地中海地域など当時の文明の中心地に伝えられた。 特に、地中海最大の島であるシチリア島では、夏でも雪を抱くエトナ山という高山があり、地中海気候で温暖なためフルーツやナッツが豊富で入手が容易であり、またさとうきび栽培が始まり生産されていた砂糖と組み合わされ、シャルバートはソルベット(シャーベットのイタリア語)と名を変え発展した。この一つにシチリア名物「カッサータ」というものがある。…(1)、(4)、(5) また、この他にマルコ・ポーロが北京で食べた、乳を凍らせたアイスミルクの製法をヨーロッパに伝え、その氷菓がヴェネツィアで評判になり、北イタリアに広まったという説もあるが、確かなことは不明である。…(8) 発展 16世紀に、イタリアで氷に硝石を混ぜ飲み物を凍らせる技術が開発され、今まで天然の雪や氷を貯蔵していたのが、人工的に液体を冷却させることができるようになった。 この冷却技術のおかげでバリエーションが一気に広がり、後に泡立てた卵白や生クリームも加えられるようになった。…(4) ★ シチリア名物カッサータ★ アラビア語のカサー(大きな深いボール)を語源とする。砂糖漬けのフルーツやナッツ入が入った、チーズ風味のアイスクリームのこと。 ★ フルーツやナッツが豊富なシチリアならではのものである。日本では、ナポリアイスクリームが「カッサータ」という商品を販売している。…(2) <伝来・普及> いつごろ日本に伝わったかは定かではないが、1990年に森永乳業が「イタリアンジェラート」という商品を発売している。 この頃から一般的に普及してきたのではないかと思われる。…(3) 日本のアイスクリームはアメリカから技術輸入されたため、アメリカンスタイルのきらびやかな着色とその甘さが特徴であった。 今でもその流れを汲んだ大量生産型でトッピングソースなどを使用するアメリカンスタイルのアイスクリームが多く販売されているが、これが受けていたのは昭和50年代半ばまでであるらしい。 昨今ではどちらかというと、ヨーロピアンスタイルの天然素材を多く使用し、手の込んだものがよく売れているという。 なかでも健康ブームが加わり、天然素材を多く取り入れたヘルシーなイタリアンジェラートが注目されているようである。…(2) <参考文献・URL> (1)『日本大百科全書』 小学館 凸版印刷株式会社 p17、18 東京 (2)『アイスクリーム』 宮地寛仁 社団法人農山漁村文化協会 p16、17 東京 (3)『アイスクリーム図鑑』 社団法人日本アイスクリーム協会 株式会社光陽社 p70、75、91、93 東京 (4)『南イタリア』 株式会社美術出版社 大日本印刷株式会社 p113 東京 (5)http://sugar.line.go.jp/japan/view/jv_9908b.htm (6)http://www.hyoei.ac.jp/cooking/column/column/colum30.html (7)http://www.wind.ne.jp/delta/html/rekisi.HTM (8)http://www.nissei-com.co.jp/history/middle.html 日記の容量がいっぱいになったので、分けて書きます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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