カテゴリ:🔴 M【メモ・サブノート】
リンクのFLURさんが復活して、相変わらず、緻密で深く鋭い思索を日記にしている。
私は、及ばずながら、このFLURさんの日記にコメントすることを楽しみにしている。 SHUCOCOさんも、FLURさんのネット・フレンドで、内省的な思索を日記にしている。 今日は、FLURさんの先月の日記のテーマと、今日書き込んだ、私からのコメントを引用してみたい。 コメントは、それほど大したことを書いているわけではない。 しかし、せっかく書いたコメントだから、使い回しをしようという、卑怯な、しかし効率的な、戦法である。 今後も、この手をたびたび使わせてもらおう。 _| ̄|○ ■ 「その土地に住むとか、その土地のものを食べるっていうのは、予想外に怖いこと」 ーーーー ◇ ーーーー 日本の風土で育まれたのが日本人。 壮大過酷な外国を経験すると、何かが変わると言うことでしょうかね? 私自身は、自然より、その自然に育まれた人間と接触してみて、いろいろ考えることが多かった様に思います。 ■ 「正義は恐怖を予防するための道具なんです」 愛を持って接することが大事なんていうけれど、愛だって「まがまがしい正義」になりかねない。 ーーーー ◇ ーーーー 「愛」という言葉や概念って、本当に、なんとも御しがたい、バケモノ的なものですね。 私としては、定義しがたいものです。 私は、「優しさ」というものを感じることはあるけれど、「愛」と言うものを自覚する機会は少ない。 「愛」は、人間存在の「哀しさ」と、どこかでつながった言葉だと思う。 「愛」は、ほとんどの場合、「だれもが」、「いつでも」、「ほとんど無制限に」「持っているべき」感情であると、アプリ オリに条件付けられる。 言わば、無尽蔵な資源のような、無から有を生むような。 人間は、そういう「理想としての」愛からは、案外、遠いと思うのだけれど。 ■ 「それまでサンタクロースはいると信じていた子が、ある日、本当はいないのだと悟る」 ーーーー ◇ ーーーー 子供時代は、毎年、サンタクロースが、いろいろ素晴らしいものをくれたのですが、あるクリスマスの朝、目覚めてみれば、私の枕元には、日頃使っている見慣れたプラスティックの皿の中に、少しのものとキャンディーが入っているだけでした。 多分、私の親はその時、クリスマスではあるものの、何らかの事情で、プレゼントを買えなかったか?買い忘れたので、このような対処をしたのでしょう。 しかし私は、この時、「サンタクロースの不在」を、劇的に、確信しました。 そうして、そのみすぼらしい食器から、生々しいまでの現実性を見て、無垢な子供から大人へとの、イニシエィションを終えたのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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