カテゴリ:J【日本】での想い出
アイビーおじさんという人の日記があったので、ふと思い出して、アイビーの想い出の復刻日記としたい。
一部、書き直しをするかもしれない。 ★ ★ ★ ★ ★ ★ 買い物に関しては、人によって好きなものがあると思う。 ウィンドウ・ショッピングをしていると思わず買ってしまうものがある。 私の場合は、カバン・バッグ類、財布類、手帳、衣類と靴とナイフ、乞食市で売っているような得たいの知れない骨董品まがいの小物・・・などがそれに当たる。 まだまだ、あるのだが、思い出せば書いてみたい。 ~~~~~~~~~ この頃の若者はずいぶん背が高い。 私は、昔の基準で言えばかなり大男だったので、衣類と靴には非常に苦労した。 というのも、昔は衣類と靴にはサイズの大きいものが無かったのだ。 中学までは背の高い方ですんだのだが、高校時代に急に背が伸びて、朝礼の時には列の一番最後に並ぶようになった。 ここからが私の苦闘時代のはじまりである。 先ず、運動靴の苦労がはじまった。 私は背が高い上に、いわゆる『バカの大足』だからサイズが簡単には見つけられなかった。 だが、実はどうして『バカの大足』、こういう言い方をされるのか? 理不尽さに納得が行かない。 日本人は小柄な人間に味方するのか? いろんな言い方で大男をいじめる?? 『山椒は小粒でもピリリと辛い』 『大男 総身に知恵が回りかね』 『ウドの大木』 五条の橋の上の果たし合いでも、小男代表の牛若丸が、大男代表・弁慶をヒラリヒラリと交わすところが受ける。 『それにこの『バカの大足』が追い打ちをかける。 運動靴は底がゴム製だから、革靴のように『履いている内に革がのびて足に馴染む』ということはありえない。 とするとどうしても、適正なサイズを見つけなければいけない。 ある店にはあるのだが、普通の店では私のサイズを見つけることはなかなか出来なかった。 唯一、オニヅカ・タイガーというメーカーが大きなバスケット・シューズを売っていた。 えらいメーカーである。 私からの好感度のせいか? 今はアシックスという大メーカーになっている。 バスケット・ボールという競技は大男が有利だから、大男が選手になる。 だから、バスケット・シューズだけには、ビッグ・サイズもあった。 (スニーカーという米国流の呼び方は当時は無かった) ~~~~~~~~~ 大学にはいると、当時は石津謙介さんの『VANジャケット』そのシニア版の『KENT』という、いわゆるアイヴィー・ファッションが流行っていて、私も付属高校から進学してきたお洒落なお坊ちゃんが多いモダンジャズのクラブに入ったことでもあり、アイヴィー(アイビーという方がいいかな?)ファッションに夢中になった。 今はご婦人のファッションへの熱意を冷ややかに揶揄する私も、よーく考えてみれば、人のことは言えないからだなのである。 ともかく、このバタくさいアイビーが、それまでの日本男性のおしゃれ意識を180度変えたと思う。 それに当時は、六本木や銀座みゆき通りに、髪は短いクルーカット、綿パンの裾を折り返し、ボタンダウンシャツ、脇にはVANブランドの紙袋をかかえ、コインローファーを履いて、細巻のこうもり傘(どうも古臭い表現だな~)を持った、『みゆき族』という少年達が、これ見よがしに徘徊していた。 また、そういう少年達を大橋歩さんが表紙に描いた『平凡パンチ』という都会的な青少年向けの週刊紙が創刊されて、『アイビーブーム』をさらにあおった。 ただ、石津謙介さんのVANのアイビーは、本物のアイビーではなかった(と、私は言っておこう)。 本物のアイビーファッションは、米国東海岸のエリート8大学、ハーバード、エール、プリンストン、コロンビア、ダートマス、コーネル、ペンシルべニア、ブラウン、通称アイビーリーグの学生のファッションで、その卒業生がそのままアイビー基調の着こなしをする。 トラッド(トラディショナル)とも呼ばれるスタイルだ。 J・F・ケネディー、スティーブンソンなどがその典型。 メーカーとしては、ブルックス・ブラザーズが代表だが、ライバルのメーカーに、J・プレスというメーカーもある。 昔、J・プレスのジャケットを一着持っていたのだが、サイズがちょっと小さすぎたので、ホームレス支援団体に送ってしまった。 アイビーのジャケットを着たホームレスの人が、大阪西成区愛隣地区にいるはずだ。 (後年、米国に行くようになって、義弟がブルックス・ブラザーズを愛用していたので、ブレザーやその他のものを買ったが、私はそれほど感銘していない。 私はドレッシーな洋服・コートに付いては、やはり英国調が好きだ。) ブルックス・ブラザーズなどの本物のアイビージャケットは、ナロウ・ショールダーではあるものの、しっかりしたかちっとした仕立てで高級生地を使用している。 アイビーリーグが伝統校・エリート校だから、アイビー・リーガーは社会に出てもエリート。 そのエリートが着る背広だから、高級なのは当然。 しかし、当時の日本の大学生は貧乏だったから(私の神田川の日記など、涙無しには読めない貧乏レベルである)、とてもそんな高級スーツは買えない。 そこで石津謙介氏は、帝人と提携して、ペラペラの安物生地で、しかも生地をケチった思い切り細身のスーツを日本版アイビー・スーツとした。 だから、私でも買えた訳だから文句を言ってはいかんな。 そのうちにVANのライバル・メーカーとして『JUN』というブランドが出てきた。 こちらの方は、トラッドというより、ちょっと欧州スーツ・コンテンポラリーと呼ばれるファッションの風味があった。 とにかく、若者向けのスーツは、従来の英国調から肩幅の狭いアイビー調にすっかり代わってしまった。 私に関して言えば、都合よく、父が米国へ出張していたので、茶色のスェードのジャンパーや、極細のネクタイ、革靴などを買ってきてくれた。 それに、LEEのホワイト・ジーンズ、白のソックス、ボタンダウンのオックスフォード生地のシャツなどを着用すれば、アイビー・ボーイの仲間入りが出来た気持ちになった。 ---------------- この極細のネクタイについてはちょっと書いておく。 幅が極端に細くて、ワイシャツの前立ての幅しかない。 しかも、ネクタイの下の部分、つまり表面には見えない部分には『ボタン穴』が空いていて、シャツのネクタイに止めるようになっていた。 これでネクタイピンが要らなくなると言う理屈。 このネクタイは気に入っていたんだけれど、どこに行ったかな~? ---------------- 石津謙介さんのアイビーは貧乏な若者向けに、『細身』で『安い生地』と書いたが、私の独断と偏見だが、もう一つの理由があったと思う。 それは当時大流行のモダンジャズの黒人プレイヤーの独特のファッションが影響していたと思うことだ。 繰り返すが、これは私の個人的推測。 私は大学でモダンジャズのクラブに入って、時々来日する黒人のモダンジャズ・メンのコンサートに行った。 彼らも米国本土でも流行のアイビースーツを着ているのだが、お洒落な彼らは、思い切り細身のピッタリしたスーツにインプロヴィゼイションしているのだ。 偶然かどうか、石津アイビーにそっくりなのだった。 ---------------- で、靴の話だけれど、アイビーの靴には大きく分けると、ヒモ型とヒモ無しスリップオン型があった。 ヒモで結ぶ靴のつま先はウィングチップという模様がついていた。 プレーン・トーはあまり流行らなかった。 スリップオン型は、甲の部分にコインをはさむ『コイン・ローファー』が主流だった。 父は米国から、ウィングチップを買ってきてくれたのだが、アイビー・スーツでなく、ホワイトジーンズだと、ウィングチップは似合わない。 スリップオン、とくにコインローファーを履かないと、画龍点睛を欠くことになる。 それではいかんと、探したのだが、これも当時は私のサイズはなかった。 あのアイビー御用達のリーガル・シューズでもだめだった。 それで、普段はバスケット・シューズを履いていたのだけれど、スリップオンを大学近くの靴屋に発注した。 しかし、この靴が出来が悪くて・・・。 ブカブカだった。 それに当時の白の棉ソックスはゴムがしっかりしていなくて、すぐズレ落ちてしまった。 なんであんな粗悪品を売ったんだ? 仕方が無いから、祖父がしていた膝の下に占めるガーターでソックスを吊っていた。 苦労したものである。 ---------------- ・・・どうも、こんな事を書くつもりじゃなかったのだけれど、買い物の話で書き始めたのだけれど、思い切り迂回・寄り道をしてしまって、靴の苦労話になった。 まぁ、いっか? 買い物の話は、また書くとして一応今日は『これぐらいにしといてやるわ!』 ---------------- 追記。 何げなく、脱線で書いたアイビーだったが、思いがけなく多くのコメントをもらい、それも『懐かしい』という声なのでうれしかった。 ちょっと部分的に私のレスの繰り返しにもなるが、まとめておきたいことがある。 石津謙介氏がはじめた日本式アイビールックは、日本の洋装若者メンズ・ファッション界の革命であり元年であったと思う。 それまで、日本の若者のメンズ・ファッションには方向性もお手本も無かった。 そこにアイビー・リーガーズのファッションを、多少モディファイして日本に移植した石津氏の功績は大きい。 学生達が初めて、スーツを着るようになった。 ネクタイをするようになった。 方向性のあるお洒落をするようになった。 フォーマルとカジュアルについて意識が出てきた。 当時の男性服装雑誌だった『メンズ・クラブ』もたちまち、アイビー一色になった。 ---------------- 私自身は学生時代にこの石津アイビーの洗礼を受けて、社会人となって入社した時は、『今年はアイビーが入社してきた』と女性社員に言われるほどまだアイビーの影響下にいたが(!)、その後、英国駐在をしたこともあり、英国では私のサイズのスーツがザラにあったこともあり、さらには英国風の紳士ファッションが好きだったので、スーツ・コートなどの比較的フォーマルに近いものは英国調に、一方、カジュアルはそのまま米国風のジーンズ・ファッション・・・と言うことで、・・・今に至る。 しかし、現在の私のカジュアルは、ユニクロ度80%と言ってもいいかも知れない。 XLサイズが必ずあるユニクロは、昔、私に貢献してくれた『靴のオニズカタイガー社』と共に、『ほめてやりたい会社ナンバーワン』であり、出来れば私の推薦で『名誉の殿堂入り』させてやりたいものである。 (勝手かな?) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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