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ゴジラ老人シマクマ君の日々

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2019.06.12
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​「芥川龍之介の死」をめぐって ー 大村彦次郎「文士の生きかた」(ちくま新書)

​​​​  春から夏にかけての季節が巡ってくると、何だか疲れた気分がやってきます。今年は、長い連休が明けて、忙しく活動する若い人たちが疲れるのはわかるのですがどうして何もしない老人がこんなに疲れなければならないのかというほど草臥れています。もう年でしょうか?
 ​時々でかけている女子大では、国語の授業の練習で高校一年生の定番教材「羅生門」を読んでいます。二十歳になるかならないかの女子学生さんが「下人の行方は?」なんて言葉を口にするのを耳にして、40年前の高校生もこの作品を教室で読んだことを思い出しました。​​

​​ 同級生の一人が放課後の教室で「ある阿呆の一生」「侏儒の言葉」という作品について、なんというか、文庫本を振り回しながら言っていたことばを覚えています。
​侏儒というのは小人のことだ。君は知っているか。芥川は自分を小人のようにつまらないヤツだと考えていたんだ。​
​ ぼくは、みんなより一歩前にいるような話し方をするこの男がなんとなく嫌いだったのでしょうね。癪に障ったに違いありません。​
​​芥川なんていう作家には興味はない。​​
​ とか何とか、そんなふうに、いい捨てて教室を出て行った記憶があります。​​
​​​ その出来事がきっかけだったに違いありません。その後、図書館で借り出した全集版で話題にされた作品だけでなく、芥川の作品のほとんど全部を読んだ記憶があります。
 理由はともあれ、立て続けに読み継ぐことが出来たのだから面白かったに違いありません。
 その結果なのでしょうか。​​
「将来に対するただぼんやりとした不安」
​​ この「ことば」が高校生だったぼくの頭のなかを占領してしまったのかもしれません。この言葉を残して睡眠薬で自殺した作家というイメージが、その後もずっと心に残りました。​
​ いったい、何故、こころを奪われたのか定かではないのですが、自分の事を侏儒だと意識した作家が自殺することで人生を終えたことに、少年だったぼくは、かなり強い「納得」を感じたのかもしれません。そういうふうにするものなのだとか何とか、年齢相応の納得だったような気がします。​
​ あれから、何年たったのでしょう。最近、大村彦次郎という講談社で文芸雑誌の編集者をしていた人の「文士の生きかた」(ちくま新書)という本を読んでいると、芥川の自殺は、実は、青酸カリによる服毒自殺であって、原因も女性問題と書かれていて驚きました。​​​​​
 芥川は年下の友人である画家の小穴隆一に自殺の決意を一年以上前に告げていた。その頃には神経衰弱が極度に昂進し、いつ死んでもおかしくない状態で、自殺の方法や場所についていろいろ模索していた。
 芥川を自殺に追いやった理由については、創作上のゆき詰まりや健康上の問題の他に、さまざまな世俗の事情があげられる。
 たとえば、小穴に残された遺書から、秀しげ子という人妻との姦通が死の一因ではないかといった説があり、当の小穴自身もそう信じていた。友人の作家江口渙も同じくその説だった。 -略- 
​​ まだ姦通罪があった時代で、北原白秋はその罪で刑に服し、有島武郎はそれを怖れて波多野秋子と心中した。」​​​​
​​​​ これを読んで感じた感想を一言でいえば「なんだそうだったのか」ということになります。芥川「侏儒の言葉」という箴言集の中にあまりにも有名な、こんなことばを残しています。​​​​
​ 人生はマッチに似てゐる。重大に扱ふには莫迦々々しい。重大に扱はなければ危険である。​

​​​​​​​ 異性関係という人生のマッチ棒の小さな炎をどのように扱った結果なのでしょう、どのように翻弄されたのでしょうね。このページにのせたスケッチは、引用に出てきた小穴隆一という画家による芥川のデスマスクだそうです。​​
​ 死顔というものは苦しみからの解放というふうにみられる場合が多いように思いますが、この絵は「マッチ一本」の危険に疲れ果てた顔というべきではないでしょうか。​ぼくにはそう見えるのですがいかがでしょう。​
 こんなことを考えながら、ちくま文庫版「芥川龍之介全集」(全6巻)を、パラパラしていていると、巻末にある、作家中村真一郎の解説でこんな文章に出会いました。​​​
 彼の全作品を、或いは彼の自選の一冊の小説集を続けて読む時、僕らの眼下に展開するのは、正しく西洋の二十世紀の作家たちの照明してくれた複雑な内面世界に近いものである。
 読者は彼の作品を読み進めながら、十九世紀の長編小説を読むときのように、世は様々、という感想を持つ代わりに、世を眺める人の目は様々だ、世の姿を受け入れる人間の心には様々な状態があるものだ、という感想を抱く。
​​ これが芥川の作品の現代の読者を誘惑する、最も深い魅力の秘密であるに相違ない。」​​​
​​​​​ 後世の読者達の一人であるぼくもまた、彼の死の理由までもを、あたかも発表された一つの作品であるかのように「様々な理由があるものだ」と受け取ってきました。
 中村真一郎の論は十九世紀小説と二十世紀小説の構造的変化に目を据えた、まっとうな芥川評価です。ぼくの感想は単なる覗き趣味にすぎないでしょう。相手が有名人であったとしても、他人の死を覗き見して笑う権利は誰にも無いことを危うく忘れるところでした。​​​​​
水洟(みづぱな)や 鼻の先だけ 暮れ残る

​​​​  芥川は最後に、こんな句を残して自ら命を絶ったそうです。三十五年の短い生涯でした。命の最後の灯りを、それでも、諧謔を忘れることができない眼で見つめている、三十五歳の青年のことを「しみじみ」と受け取る年齢にぼくはなってしまったようですね。(S)

​追記2022・07・12
 今年も「羅生門」を読みました。偶然かもしれませんが、今年の学生さんは下人の悪について、あまり関心がなかったようで、あっけにとられました。
 芥川の作品の多くが、人間の心理や倫理観の微妙なゆらぎの見事な描写を特徴にしていると思うのですが、若い人たちの心やモラルを見る目というのはどうなっているのでしょうね。
 彼女たちの、あたかも、スタンプでも押すように「悪」とか「善」とか分類していく、それでもやはりたどたどしい手つきというか、文章理解のストレートさというかを目の当たりにしながら、どう講評していいのか途方に暮れる思いでした。
 考えてみれば、こころの揺らぎや関係の齟齬に立ち止まる子供たちに「~障害」とスタンプを押して分類することが、教員世界でハヤリ始めて、もう20年たつのですね。新しい教科書からは芥川も漱石も消えるということだそうですが、どうなるのでしょうね。殺伐としてわかりやすい世界が始まるのでしょうか?

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最終更新日  2022.07.12 14:22:49
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