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ゴジラ老人シマクマ君の日々

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2020.03.22
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​​​​​​​武田砂鉄「紋切型社会」(朝日出版社)


 竹田砂鉄、​
いつの頃からか朝日新聞の書評欄に登場し始めていたこの名前に、どこか「胡散臭い」ものを感じていたのです。 

 一昔前の「自分」なら、そういうタイプはとりあえず読むという感じだったのですが、「もう、いいんじゃないか」という気分の今は、どちらかというと「敬して遠ざける」ヘンテコな若い人の範疇にしまい込まれそうだったのですが、

 ​今年、メディアに問われているのは、オリンピック周辺で巻き起こる熱狂の裏で潰される声を聞き取る力だが、むしろ、熱狂を扇動するメディアが目立つ。東京は、かつてのように過度な憧れを向けられる場所ではないが、東京が盛り上がれば震災復興にも繫がる、との誤認が大手を振る。(松山秀明著「テレビ越しの東京史」朝日新聞書評:竹田砂鉄)
​ ​こういう書き出しの書評を読むにつけ、「ひょっとして面白いヤツなんじゃないか」と、なじみの図書館で借りだしてきたのが本書、「紋切型社会」(朝日出版社)ですね。​
 
​​で、読み始めたところだったんですが、全く偶然にFukushima 50という映画を見たらしい糸井重里という人の、こんなツイートを見てしまいました。
​ 戦争映画や、時代劇だと「いのちを捧げて」やらねばならないことがでてくる。いまの時代は「いのち」は無条件に守られるべきものとされるから、「いのちを捧げる覚悟」は描きにくい。映画『Fukushima50』は、事実としてそういう場面があったので、それを描いている。約2時間ぼくは泣きっぱなしだった。​(3月6日ツイッター)
 ​このツイートは、その後、所謂、炎上しているらしいのですが、ぼく自身は、「へー、糸井重里がねえ、ふーん、なんか変だな」という違和感のようなものを感じました。それは炎上している様々な意見を覗きましたが、それとは少しずれている感じでした。​​

​ で、ウソみたいですが、ちょうどその時、本書の「『なるほど。わかりやすいです。』認め合う『ほぼ日』的言葉遣い」という章段に遭遇したという訳です。​

​​ 竹田砂鉄はまず、糸井重里をこんなふうに定義して議論を始めます。​​

「不思議、大好き」「おいしい生活」「ほしいものが、欲しいわ」を作ったコピーライターはニュアンスのスペシャリストである。ポイントを絞り込むよりもゾーンを開放する言葉の作り手だ。(竹田砂鉄「なるほど、わかりやすいです。」)
 ​次に引用されるのが、糸井の著書「インターネット的」からのこんな記述です。​
 この頃、対談用原稿なども、しゃべったように書かれるようになってきています。わかりにくい書き手に対して、読者サイドが「あなたの分かりにくさに、付き合っていられません」と思い始めたのだろうと、ぼくは感じています。いわゆる”書き手”とか“読み手”という「階級」が亡くなってきているのに、読み手は書き手より下だと信じている人たちが、難しいことをいかにも難しそうに語っているのでしょう。糸井重里「インターネット的」)
 ​ここからが竹田砂鉄の「からみ」の骨子です。
​ 糸井は、読み手と書き手の中に分け入って、読み手の方を向いて「これまでのって、わかりにくいですよね?」と言い放つ。ふわふわタオルを広げてウェルカム態勢を築く。ズルい。(竹田砂鉄「なるほど、わかりやすいです。」)
「ふわふわタオル」という言い回しは、糸井の「ゾーン」の作り方の極意をさしていることばですが、評言として出てきた「ズルさ」がポイントだと思いました。

​​​ 「ズルさ」の例として、糸井「ほぼ日」から出ている対談の例をあげて、その「型」についての武田砂鉄はこういいます。​​​

糸井は相手の話を受けた後に自分の言葉をつなげずに「なるほど。」「そのとおりですね。」「ああ、いいですね。じしんをもっていう、というのはすごくいいです。」「なるほど、わかりやすいです。」「そうなんですか。」「なるほど。なるほど。」とひたすら承認を繰り返していく。
 
​確かに、その承認の連鎖によって、すらすら気持ちよく読むことができる。対談の温度感を伝えるために「(笑)」をいれたり、「はははは。」と大盛り上がりする様子を伝えたりするのと、この承認の連発とは位相が異なる。
(竹田砂鉄「なるほど、わかりやすいです。」)

​ 互いが理解しあっているムードが充満する開かれた「ゾーン」は確かにある。しかし、例えば「対談」しているお互いの言葉の奥にあるにちがいない、「わからなさ」を巡る躊躇や葛藤、二人の人間のぶつかり合いは、その「場」の「温度感」とは「位相」が違うはずなのに、それはどこに行ったのか。この指摘は鋭い!ぼくはそう思いました。
 
で、結論はこんな感じです。

 人と人の認め合いから肌触りの良さを提供する対話が流行ることで、油でギトギトになった皿の真ん中に注がれる洗剤のように劇的な変化が見込めるプロセスすら、「あなたのわかりにくさには、つきあっていられません」と拒絶されていく。「なるほど。わかりやすいです。」という承認の嵐によって、物事の躍動感が全体的に狭まっているのではないか。
​ これだけ抽象的な、迂回しまくりの議論をぶつけても、やっぱり「なるほど。わかりやすいですね。」と受け止めて、あるいは「うーん。ちょっとわかりにくいですね。」とかわされて、次の承認に移ろうとするのだろうか。(竹田砂鉄「なるほど、わかりやすいです。」)

​ ​​​ちょっと引いてますね。でも、なかなか善戦しています。全くのあてずっぽうですが、「なるほど、わかりやすい」ゾーンの「ことば」による構築は「商品」と「消費者」を結びつける「方法」として作り出されてきたというところに戻る必要がありそうです。この方法を作り出した糸井を、「ことば」に関して、ある種の天才だと思います。ずっとファンなわけですが、「本を読む」とか「映画を見る」という行動は、必ずしも商品の消費活動には収まりきるものではないのではないでしょうか。
 読書での理解や納得、映画や美術作品への感動というものは、ありきたりな言いかたですが、お金には代えられない性質を宿しているものではないでしょうか。
 ぼくは「本」や「映画」や「音楽」について、いや、他のさまざまなことにおいても、「わからなさ」にどこまでとどまれるかということが、この世界との出会いの基礎だと思っています。しかし、現実の消費社会で「わからない」商品に手を出す消費者はいないのです。
 「泣ける」、「心震える」、「怖い」、購入して読んだり見たりする人は誰でもが同じように「わかってしまう」ベスト・セラーや大ヒット映画が氾濫しています。作り手は「小説」書いたり、「映画」を撮ったりする以前に、「商品」を作ることを目論んでいるかのようです。
 という訳で、あのツイートに対する違和感の正体に思い当るのです。あの糸井重里が、どんな「映画」であれ、「泣きっぱなしだった」とツイートするというのは、武田の言葉を借りれば、やっぱり、ちょっと「ズルい」のではないでしょうか。
 気付かせてくれたのは竹田砂鉄のこの本でした。
​​​​

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最終更新日  2020.12.17 23:06:58
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