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カテゴリ:百人一首
百人一首 75番歌 契りおきし させもが露を 命にて あはれ今年の 秋もいぬめり ちきりおきし させもかつゆを いのちにて あはれことしの あきもいぬめり 作者: 藤原基俊(ふじわらのもととし) 1060~1142 平安後期の歌人。藤原氏の主流である名家、藤原道長の曾孫で右大臣俊家の子。万葉集の次点(訓点)をつけた一人。藤原定家の父俊成に古今伝授を行った。 保守派歌壇の代表的人物で、革新派の74番歌、源俊頼と対立。人望がなかったため、学識・家柄の割に官位は上がらず、従五位上左衛門佐にとどまり、1138年に出家し、覚舜(かくしゅん)と称した。 お約束くださいましたお言葉を、よもぎの葉に浮かんだ恵みの露のように、ありがたい言葉を期待しておりましたのに、なんともまあ、今年の秋もむなしく過ぎていくようです。 この歌の作者の藤原基俊の息子は、奈良の興福寺のお坊さん光覚でした。興福寺では10月10日~16日まで維摩経を教える維摩講が行われます。この講師に光覚を推薦、前の太政大臣・藤原忠通に再三頼んでいました。 再三の親の頼みに藤原忠通は、「私に任せなさい」と答えたと言われます。古今集にある清水観音の歌に 「なほ頼め しめぢが原の さしも草 われ世の中に あらむ限りは」(私を頼りなさい。しめじが原のヨモギのように思い悩んだとしても)というものがあり、「大丈夫だ、私に任せておけ」との意味ですが、その年も息子・光覚は講師に選ばれませんでした。 だからその恨みをこめ、作者は「約束したのに、ああ、今年の秋も過ぎていくのか」と嘆いてみたのです。ただ言葉だけで頼んだとは思われません。贈り物である賄賂が少なかったのだろうか、とはいえ歌に詠んでまで公表したのだろうか。あるいは私信としてやりとりしたのが記録として残っていたのだろうか。 ※ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013/05/17 08:03:42 AM
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