テーマ:ヨーロッパ旅行(4174)
カテゴリ:東欧
ツヴィンガー宮殿は1732年、アウグスト強王の命により完成した。 城や宮殿の見学に行くにはお花の咲いている時期の方が断然いいのだと今回つくづく思う。ここもまた1945年の空爆で消失したものの、戦後すぐに再建された。 アウグスト強王は365人の子をもうけたと言われている。 365人って、何人の愛妾がいれば、産み終われるんでしょう。 その中でも有名なコゼル伯爵夫人は25歳でアウグスト強王に見初められた時には既婚者だった。 王はその夫に莫大な年金を与え、夫人から「正妃が他界した場合には自分が王妃になる」こと云々を買い契約書を作り、サインさせる。 その若さで王に契約書、夫か家族の入れ知恵だとしても、やるなー。 3人の子供を生み、深く愛されている筈だった。 しかし、王はポーランド王になりたかったので、正妃と離婚した後、カトリックのポーランド貴族の娘と結婚してしまう。 彼女はあせり、従姉妹に預けてあった結婚契約書を取りに行くが王の策略か既に契約書は存在していなかった。 彼女はそのまま逐電し、長い間王の元に戻らなかった。(当たり前のような気もしますが) 王はそれを反逆罪とみなし、彼女はその後49年にわたって軟禁される。 二人の蜜月の頃、王が与えた宮殿の一部。今はホテルとして使われている。 英国のヘンリー8世は次の女性に気が移った時、アンブーリンを処刑した。それからみれば野蛮な人ではないように思える。 アウグスト王がザクセンにもたらした偉業は誰も否定できないだろう。芸術を愛し、育み、後世に残る文化をこのドレスデンに与えたのだから。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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