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カテゴリ:洋画(08)
”あれ”から”あいつ”へ
監督: マット・リーヴス 製作: J・J・エイブラムス ブライアン・バーク 製作総指揮: ガイ・リーデル シェリル・クラーク 脚本: ドリュー・ゴダード 出演:マイケル・スタール=デヴィッド マイク・ヴォーゲル オデット・ユーストマン リジー・キャプラン ジェシカ・ルーカス T・J・ミラー ラストタイトルの音楽はメロディから構成まで完全に伊福部昭のゴジラのテーマ音楽のパクリ。しかも”あれ”は巨神兵(「風の谷のナウシカ」)そっくり。でも日本人の性なのか、裁判沙汰だという声は起きていない。むしろ無様だったアメリカ版「ゴジラ」と違い、こちらの方がゴジラ映画の真髄を踏襲しているのではないかと思い、私は気持ちよかった。 私的解釈におけるゴジラ映画の真髄は、見慣れた風景がなす術もなく壊れていき、「人間の無力さ」を感じることで、皮肉なことだけれども無力な人間としての「癒し」を得るところにある。だから一般民衆もたくさん死んではいるのだが、そこは映像としてはほとんど出ず、自衛隊も無力ならば、昭和後期ゴジラは同盟国である米軍にたいしても完全無敵であった。東京、大阪、福岡の数年前に出来た有名ビルがゴジラに破壊されるのを見るのは、実に快感だった。だからたとえ併映に子供映画が入ろうとも、必ず初日にゴジラ映画は見に行ったものだ。 ‥‥‥というような意味で、この映画の”あれ”はついに名前を得ることはなかったけれども、哲さんの「ゴジラ」の正統的後継作品 という説には基本的に賛成する。但しこの作品に限っては、である。 もちろん作品的には、ゴジラ映画のパクリではなく、オリジナリティに富んでいる。すべてハンディカメラで撮った映像で構成したという設定もさることながら、あくまでも人間を主人公に持っていっているところは日本とは違うだろう。”あれ”の呼び方はやがて”あいつ”に変わる。人間はいつか「怪物」を倒すだろう、と言う意思をそこに感じる。この映画の背景に「9.11」があるのはあまりにも明らかである。 ひとつお願いがある。決して続編は作らないで欲しい。もし作るのならば、せっかくゴジラとして登場した”あれ”が人間の兵器などで簡単に殺されるようなものにしないで欲しい。アメリカの今の状態はそんな状況ではないはずだ。ありうる展開があるとすれば、「怪物」をめぐって右往左往する状況を今度はテレビ番組のビデオを次々と写すことで描き出すという続編である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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