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カテゴリ:洋画(11~)
アメリカ人のヒーローコンプレックスは治癒の見込みのない状況まできているのかもしれない。ヒーロー讃歌でもなく、ヒーロー批判でもないこんな作品を見事なエンタメ作品として作ってしまうのだから、既に分裂症の域まで達しているのかもしれない。
監督 マシュー・ボーン 出演 アーロン・ジョンソン (Dave Lizewski / Kick-Ass) ニコラス・ケイジ (Damon Macready / Big Daddy) クロエ・グレース・モレッツ (Mindy Macready / Hit-Girl) マーク・ストロング (Frank D'Amico) クリストファー・ミンツ=プラッセ テレビドラマ「ヒーローズフィナルシーズン」はもちろんあれで終わって正解だったのであるが、内容的には全然完結していないのである。そもそも何故彼らが突然超能力を持つようになったかという根本部分の謎解きはついにそのままになって終わった。あの作品は何度も何度もヒーローたちが地球の危機を救うのであるが、彼らはいっこうに報われない。それころではない、そもそも何故地球の危機が起きるかといえば、ひとえに彼らが存在を始めたからだ。まるでマッチポンプのような構造なのである。 こういうヒーローモノができるのは、ひとえに9.11の影響なのだと思う。ブッシュ大統領が「悪と戦う」と宣言したときに、みんな無条件に彼をヒーローとみなしてしまった。そのことが国民的トラウマとしてみんなの潜在意識に入ったのである。あのときの純粋な気持ちは間違っていたのか?その回答はなかなか付くものではないのだろう。「間違っていた」という気持ちと「間違っていなかった。結果はどうであれ、悪を憎む気持ちに間違いなどあるはずがない」。 一方、アメリカには伝統的にカーボーイ、自警団の伝統がある。この作品の場合は地球を救うヒーローじゃない。あくまでも街の悪役フランコ・ダミコを倒すのが目的なのである。バットマンの系譜ですよね。でも、この映画はヒーローを決して手放しで褒めてはいない。そこが非常に面白い。物語を締めているのは、「ビッグ・ダディ」こと、ニコラス・ケイジの存在だ。どう見ても可憐な少女である子供に超危険なヒーローを強制するのである。見ようによっては非常に複雑な人物を飄々と演じている。 この映画を面白くしているのは、ひとえに「ヒット・ガール」の存在である。けっして「キック・アス」じゃない。クロエ・グレース・モレッツ。あの切れの良いアクションと少女の身体のアンバランス。去年見ていたら確実に新人賞だったのに、岡山の悲しさ、正月映画になってしまった。この映画は続編で完結すべき映画である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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