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カテゴリ:読書フィクション(12~)
「咲、白磁の小さな壺があったな。あれを持ってきてこの手に握らせてくれないか」
すっかり熱は下がったようなおだやかな表情であった。咲が巧の手に小さな八角壺を握らせた。巧はそれを頬に当てた。 「冷たくてとても気持ちがいい」 そつ呟くのを聞いて咲は、巧の熱がまだ高いことをさとった。 「白磁というのは本当にいい。こんなに冷たくて気持ちがいいのに、見つめていると心は温かくなってくる…」 (まるであなたの人柄そのものじゃあないですか、白磁の温かさは) 咲は巧の呟きに対して、心の中で答えた。 巧の病症は一時回復の兆しを見せた直後、再び悪化した。(148p) 「白磁の人」二宮隆之 河内書房 映画「白磁の人」を観て、今も韓国の人たちの敬慕の対象であるという稀有の日本人、浅川巧について興味を覚えた。興味を覚えると、いろいろ知りたくなるのが私の悪い癖で、先ずは原作を読んだ。 ついでに言えば、八月の韓国旅行の準備でもある。浅川巧の墓参は一つ決定している。 映画は見事にこの原作を換骨奪胎、脚色していることを知った。悪軍人小宮中尉は、原作では途中で心を入れ替える事になっているが、映画では敗戦時に朝鮮人によって袋叩きにされる。映画では最も感動的だった巧の母親のエピソードは、原作では全く入っていない。 著者も書いているが、巧の態度は「クリスチャンだったから」というよりも「巧という人間が持っていた心の純粋さ」からきたものだと私も、思う。 浅川兄弟や柳宗悦の民芸運動は、朝鮮民芸の発掘に貢献したかもしれないが、当時の日本の植民地政策に何の痛痒も与えなかった。むしろ、武断政治から文治政治に移る時に利用された感さえある。個人は時代を変える事のできない事の証左でもあった。しかし、一方では、個人は人を変える事が出来る。それは、一粒の種かもしれないが、40年後の日韓新時代の一衣帯水に花開く事もあり得るのだとも思う。まだ、それは道半ばではある。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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