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テーマ:■■東京下町■■(1126)
カテゴリ:旅の記録
1月3日(水)晴れ ビジネスホテルだけど、豪華なバイキング。郷土の料理を揃えている。佃煮3種。こんぶはわかる。モツや魚まで佃煮とは知らなかった。 お雑煮。やはり角餅(焼いていない)、大根、三つ葉、人参有り。すまし汁。それにお芋等。 おせちを一通り揃えてくれていた。栗きんとんもあった。紅白蒲鉾以外には、伊達巻も関東の定番のようである。 結局なんやかんやで、朝からガッツリ。 朝、予定を変えて南千住に行くことにした。日比谷線降りてすぐの小塚原回向院に、この記念碑がある。此処が、解体新書が出来るキッカケになった小塚原刑場である。 また、知らなかったがいろんな人の墓があった。開明派でなおかつ幕府が、生き残る道を模索し、処刑されなければ日本の違った道も有り得たかもしれない橋本左内の墓(遺骸は移されている)がこんな処にあった。 同じく、維新の傑物、吉田松陰もいた。彼の死は、反対に維新を回天させた。 頼三樹三郎もその隣にいた。 面白いのは、刑場に消えたという共通点があるのか、鼠小僧の墓があった。 それと並んで、高橋お伝とこの何か腕に覚えが有りそうな墓が並んでいた。これだけで小説ひとつ出来そうだ。 そうから歩いて浄閑寺に向かう。路地が細く、少し不規則。こういう場所は、庶民が一挙に家を建てたのではないか?浄閑寺の前は碁盤目になっている。ここは昔は田んぼだったのではないか? 投げ込み寺浄閑寺の説明書。 首洗い井戸。ちょっと悲しい話。庶民はこのような悲しい話が大好き。 それでこんな像まで寄せている。 此処にきたのは、永井荷風文学碑があり、なおかつ彼の散歩コースだったから。この文学碑並びにゆかりの品の由来は、以上にある通り。 以上ゆかりの品。 遊女たちの無縁仏はこれである。 JR南千住駅に戻る。すると、芭蕉の矢立はじめの像があった。 これを写した直後、カメラが固まる。なんとか、治したがもう限界か。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018年01月31日 15時15分19秒
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