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2010年07月24日
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カテゴリ:キネシオロジー
 
話が前後しましたが、
ボストン郊外で行われたインテグレイテッド キネシオロジーの
クラスの報告です。

クラスの3日目。

この日、マチルダが
自分に自信を持つこと、自分を愛することができていることは全ての基本だと言って
それに対するワークをすることになりました。

それで、最初に筋肉反射テストで、それらの問題が潜在意識にあるかどうか
調べてゆくのですが
私は自分に自信を持つことも、自分を愛することも問題なしと出ます。

そこに、マチルダがやってきて
「それじゃあ無条件の自己愛」で調べてみたら?
と言うのでテストしてみたら、見事に身体の反応がありました。

自分を愛することはできていたつもりだったのですが
無条件に自分を愛することは、まだできていなかったのだなあと。
つまり、今の自分を愛することができていたのは
あくまでも、条件つきな愛であって
もしも、様々な条件が変わってくれば、その愛は揺らいでくる可能性があったわけです。
例え、自分がどんな失敗をしても、全くだめな自分であっても
誰にも認められなかったとしても、自分自身を愛する。
これが本当にできたなら、他人からの評価を全く気にすることもないし
自分自身が知らず知らずのうちに作り上げている「理想の自分」
にとらわれることなく、ありのままでいることができます。

これまで私のところにキネシオロジーのセッションに来られ方の中で、
「自分を愛する」というテーマで
来られた方がいましたが「無条件に」愛する必要があったことに
あらためて気づきました。

今回、私の潜在意識を「無条件の自己愛」で調整した後
いろんな場面で、意識が少し変わったのを感じています。
もちろん、今、自分ができることに全力を尽くす
という根本的な姿勢は変わらないけれど
例え、そうできない自分がいたとしてもそれでいい
そう感じるので、以前よりもさらに楽な感じ♪
まだ私の中に残っていた完璧主義の傾向が、なくなったように感じます。
(さらにいいかげんな人間になりました~あっかんべー

そして、クラスの4日目に行ったのが、インナーチャイルドの癒しでした。

私達の多くは、癒されていないインナーチャイルドを抱えていて
それはいろんなところに影響を及ぼしています。
IHキネシオロジーでは、何かのテーマにそってセッションを行っていく過程で
インナーチャイルドを癒すことが必要、と出た時だけ
インナーチャイルドの癒しは行うので
最初からインナーチャイルドの癒しを目的としたセッションは行わないのですが
この日のクラスでは、とりあえず練習のために、
参加者みんながインナーチャイルドの癒しについてのセッションを行いました。

私はカイロプラクティック医院を経営している男性の人と組んで行いました。

セッションの過程でインナーチャイルドが聴きたかった言葉というのを
筋肉反射によって、身体が選ぶのですが
私のインナーチャイルドが聴きたかった言葉は

「あなたはすごく特別な存在だよ」

という言葉でした。

なるほどな~ひらめきと深く納得する言葉でした。

私は小学校の頃から、音楽や絵が大好きで
学校や市のコンクールで賞を取ったりすることも多かったのですが
そのたびに私の両親は
「これは、あなたが努力したからもらうことができた賞なのよ。
あなたに絵や音楽の才能があるということではないの。
こんな芸術的センスのない私たちから
芸術の才能がある子ができるわけはないのだから」

と言うのでした。

これは、大人になってから、彼らは私の謙虚さを養う意味で
そう言っていたのだろう、と思っていたのですが
そうではなかったことに後から気づきました。
「絵や音楽なんかでは生活はできない。
自分は才能がある、なんて間違った考えを持って、
そういう方向に行って、将来生活できなくなったら困る」
という恐れと、自分たちが「この子はこういう才能がある」
などと間違った期待をして
それを後から裏切られることへの恐れからでした。
(本当は才能を認めることに間違いも正しいもないのですが)

20代前半になって
「才能があろうがなかろうが、私は自分がやりたいと感じることをやってゆく」
そう思い始めて、音楽も絵も感じるままにやっていたのですが
この「結局、私には才能はないのだ」という感覚、いわゆるコンプレックスを
完全に取り除くまでには、それから10年以上の年月がかかりました。

今では、私にしかできない絵や音楽やヒーリングがあることを知っていますし
そういう意味でスペシャルだと思っていますが
だからといって、私だけがスペシャルだということではなく
すべての人が、みんなスペシャルな存在であることが本当によくわかります。
だから、子供に「あなたは特別な存在だよ」と伝えることで
謙虚さが失われることはけしてないし
その子のスペシャルな部分をのばすことになってゆくのだなあと。

私とパートナーを組んだ男性も、彼のインナーチャイルドが聴きたかった言葉として
同じ文を選んだのは、シンクロでしたし、
子供は、いえ例え大人であっても
本当はみんな、自分は特別な存在なのだという言葉を聴きたいのだなあと
あらためて感じました。

そして、セッションの最後には私のインナーチャイルドから
私へのメッセージをを聴くのですが
それは

「人とのつきあい方に、自分で制限を課してもいいんだよ」

でした。

これも深く納得。

最近では、自分の心地よくないと感じる人とのつきあいは
ほとんどなくなりましたが、昔っから、来るもの拒まず、去るもの追わずの人で
自分自身で制限することは、あまりない人でしたから。
もちろん制限する必要があるのは、ヒーリングやセラピーの場のことではなく
プライベートの時間でのことです。

例えば、古くからの友人で、その人が根本的には好きで、
とても信頼していたとしても、人生の流れの中では、
お互いが持っている感覚、エネルギーが
合わなくなってきたりすることがよくあります。

セッションに来られる方の中でも、こういう問題を持っている方は実に多くて
「その私の友人は、とてもいい人であることはよくわかっているのだけれど
その人のネガティブな考え方をそばで聞いていると、
いつもだんだん苦しくなってくるのです」
という話をよく聞きます。
その友人が悪い人ではないことがよくわかるだけに
心優しい人であればあるほど、その関係を制限できずにいてしまうのですね。

もちろん、今の自分と合わないと感じる人たちに対しても
慈愛の気持ちを持つことは、とても大切なことだと感じますが
だからといって、その人たちとつきあいを続けていく必要はどこにもなく
一緒にいて心地よい人、楽しい気分になる人、勇気が湧いてくる人
お互いによい影響を与え合うことができる人と、
つきあっていくことは何よりも大事。
心地よくないとどこかで感じているのに
そういう人たちとつきあうことは、自分自身を大切にしていることにはなりませんから。
自分自身を大切にできなければ、結局、人に対しても大切にできなくなります。
「自分を犠牲にしている」とその人が心のどこかで感じているならば
それは相手に対しても、けしてよいことになりません。
慈愛を持って、そのつきあい方を制限することが大切だなあと。

(念のため、誤解のないように書いておきますが、これは
信頼する友人が今、辛い状況にあっても、その話を聴くことがよくないとか
ポジティブなことだけを言う人とつきあえということではありません。
お互い本気で話ができなければ、それはけして友人とは言えませんから)

自分の中の癒されていないインナーチャイルドを癒すことは
自分自身を無条件に愛することにつながってくるなあ
ということをあらためて感じたセッションでした。







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最終更新日  2011年10月08日 07時27分46秒
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