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2011年06月06日
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カテゴリ:素敵なメッセージ
 
先日、あるHPにたどり着きました。
これは本應寺で、脳障害児の日木流奈くんの講演内容で
震災や今の不安な社会をどう捉えればいいか?の参加者からの質問に
彼が答える言葉は、とても自然に心に響くものでした。

浄土のひびき

彼について、私はこれまで全く知らなかったのですが、
ドーマン法という訓練法を受け
文字盤を指す方法で、5歳の時から、意思表示を初めてから
たくさんの本を出して、NHKでも特別番組で取り上げたそうなので、
日本では多くの方が知っているのでしょうね。

以下は、彼の12歳の時の著書
「ひとが否定されないルール」という本からの抜粋。

「だれかをけ落とす言葉はいりません。
だれかを評価するための言葉もいりません。
だれかを私の思い通りに動かそうとする言葉もいりません。
ただ私の想いを伝えるだけの言葉は存在します。
共鳴と共感、それだけが私の言葉の使い方です」


「私は知らないことを恥じたりしません。
ですが、知ろうとしないことは恥ずかしいことです。
見て見ぬふりをすることはとても恥ずかしいことです」


「この<自分の思い>というのを、自分自身にきけばいいと言われても、
「わからない」と答えるひとがたくさんいることに私は気づきました。
自分が何をしたいのか、どうしたいのかが自分でわからないのです。
ひとからの評価ばかり気にして生きてきたために、
自分の心のありかがわからなくなっているのです」


「”平等”という言葉は、時として人を大きく勘違いさせることがあります。
同じ時間、同じ量のことを、同じようにしなければ平等だといわないとしたら、
この世はもっともっとおかしなことになってしまいます。
私は、平等というのは、それぞれの人が必要な時間、必要なだけ、
その人に合ったやり方で接してもらえることだと思っているのです。
ですから、世の中でいう”平等”がおかしく感じるときがあるのです」

「いつの時代も、警鐘を鳴らすのはほんの一握りの、本当の意味で賢い人たちです。
本来の賢さを持つ人たちです。
知識を知識にとどめず、知恵に変換する人たちが、わずかですがいつの時代にもいました」


「早くから、自然が破壊されることに警告を発していた人たちがいます。
早くから、日本の学校教育のあり方が創造性をはぐくむのに
乏しいと言ってた人たちがいます。
早くから、農薬が危ないと言ってた人たちがいます。
早くから、添加物が危ないと言ってた人たちがいます。

でも、大抵の人は耳を貸しません。
自分がその害を受けてからでないと動こうとはしません。
だから現象が起きているのです。現象が起きて当然のことがなされてきたのです」


「病気になった人は考えます。
障害を持った人は考えます。
不登校に子どもがなったら、その親も考えます。
引きこもりになったら、考えます。
戦争が起きたら考えます。

みんな考え出し、動き出します。
本当はそうならないように知恵を出していなければならないところですが、
現象はすでに起きてしまいました。
それは当然の結果なのです」


「そして、問題はそこから始まります。
現象が起きてくれたのなら、
それをどうとらえるかが、その渦に巻き込まれた人たちの学びなのです。
ただ自分を「不幸」ととらえるか、
「ワールいのは他人で、自分は何も悪くない」ととらえるか、
何もせず、ただ被害者の一人になるか、
それを選択する自由が私たちには与えられています」


「私はだんだんに悟っていったのです。
私が主張して、人と戦っても、正しいという証明には決してならない。
むしろ、私は私と関係する人、私と共鳴する人たちと
より深い信頼関係を作っていくことのほうが大事なのだと
私は知ることとなるのです」


「私は手放すことにしたのです
私の想いも私の考えも、主張するのではなく、
提示するだけにとどめることを選んだのです。
そういった思いに執着したとき、自分の思い通りでないことに心は乱れます。
ですが、提示するだけにとどめたとき、
それを必要な人だけがそれをつかみ取るということに気づいたのです」


「私は時々、知識で戦いを挑もうとする人と話していると、ウンザリすることがあります。
私は知識を大切にする者ですが、知識で戦うことをよしとしていません」

「人により気づくスピードは様々ですし、気づく時は違います。
それをただ促す役目をもてばいいのに、こう考えるのが正しい、
こう振る舞うのが正しいと教えを説き、
それをしない人を排除しようとするところを私はヨシとは思いません。
気持ちが良くないのです。
私の指針は、常に私の心地よさです。
私は私が納得しない人を排除することは決してありませんが、ただ、お友達にはなれません。
ただそれだけです」


「私は条件をつけずに愛されました。
このまんまの私を受け入れてもらえました。
脳障害であることは大変ではあるけれど、
私の存在を否定する材料にはなりえませんでした。
そして、そこから始められた私は、それ以後もだれかと比較されたことはなく、
テストされたこともなく、
きのうの自分よりあしたの自分が優秀になっていればいいという思想のもと、
育てられました。私は常に成功者でした、
私自身において。だれかと比べてでは決してなかったのです。
私は私自身でありさえすればよかったのです


「そして、いつでも、
「かわいい。愛してる」と、一日何十回も言われ続けたのです。
でも、私ががんばっているから私を褒めたのではないのです。
私が生きているだけで私は愛されていたのです」


『大人という人生の先輩は、子どもにとってとても大切な存在です。
上下関係としてではなく、純粋に大人たちを尊敬できる子どもはとても幸せだと思います。
自分が劣っているのではなく、段階として未熟なだけだと知るだけで、
自分を卑下する必要がなくなるからです。
尊敬できる大人たちというのは、子どもに劣等感を持たせません。
とても紳士的に接します。命令ではなく、提案し、提示して
意見を聞かせてくれる大人。
その出会いは人生の財産になるといってもいいでしょう』


ひとの存在が否定されない
このことがどんなに大きな意味を持つか
これまでヒーリングを通じて、いつも感じてきたきたことでした。
私たちは多かれ少なかれ、ほとんどの人が小さな頃から、いろんな否定を受けています。
例え、直接言われていなくても
あなたにはそんな力がない、あなたは受け入れられない、あなたの存在なんて意味はない
それは無理だ、そんなメッセージを家庭や社会の様々な場所で、受けています。
そして、いつのまにか、自己の存在を、無限の可能性を
自分自身で否定しながら生きるようになってしまうのです。

自分の存在をすべて受け入れてもらえたとしたら
私たちの多くは、どんなにか違った人生を送ることができるでしょう。
だから、この流奈くんのメッセージは、本当に深いと感じます。
これは、子供だからすごいというだけではなく
ある意識レベルに達した人の言葉であることは明白。
流奈くん曰く「私は脳障害というお役目を持って生まれてきました」
彼は最も肉体的に制限を持って生まれることで
より多くの人へメッセージを伝えるために生まれてきたとしか私には思えません。

ところが、調べてみると、NHKの放送後、
あれは母親が流奈くんの腕を持って、無理矢理動かしているのではないか?
流奈くんの言葉ではなく、お母さんの言葉なのではないか?という
視聴者からのたくさんの批判が寄せられたそうで、
それで、いくつかの映像を見てみました。

なるほど、確かに見てみると
彼がよそを向いている時も、母親は手を動かしているし
文字盤は固定されずにぐらぐらしているし、時には文字盤に触るより早くお母さんの
言葉が出てくる時があって、一見すると、お母さんが腕を持って動かしているように見えます。
でも、これはすぐに、このお母さんは、彼の微妙な動きを瞬時に感じて、
ほぼ同時に動かすことができているからだと感じました。

例えば、キネシオロジーでも
筋反射を実際にやらなくても、手に触っているだけで、
相手の答えが感覚として伝わってくることがよくあります。
また、例え、触れていなくても、言葉にしなくても、親しい相手が
感じていることを感じ取ることは、多くの人が自然とやっていることです。
ましてや、この親子は、小さな時から24時間態勢で、激しい訓練を続けて
練習を重ねており、流奈くんがちょっと指を動かしたと同時に
お母さんがその動きを読み取り、言葉を発したとしてもけして不思議ではないのです。
この二人の最初の頃の映像は、まだ、たどたどしく、
お母さんが動きに慣れていないことがわかります。

そして何よりも、私の直感で、この言葉を紡ぐ人は、けして
子供をだしに使って、金儲けしようというような人ではない
ということ。
到底、そんなレベルの人が書ける文章ではありません。
そんな最も基本的な人権を犯すような人たちが
何十年もこんなことを続けて、そして、このお寺のお坊さんまでもが、
だまされているなんて、とても考えられないことです。
実際にこのお坊さんの言葉があるサイトに載っていましたが
心から、流奈くんや日木家を信頼されているのを感じました。

でも、目に見えない世界のことを信じようとしない人はたくさんいます。
「これはこういうものだ」という固定観念から
離れることはできない人もいます。
例えば「文字盤が固定されていないのに、読むことは絶対に無理だ」
と考えていれば、どう見たって無理に思えることでしょう。
この批判にどれだけこの親子は傷ついたのだろう、
もちろん、彼らはきっと信じられない人は信じなくてもいい
そう言われるのでしょう。

そんなことを思っていたら、思想家の森崎茂さんが同じようなことを言われていて、
やっぱり、わかる方にはわかるのだと、ほっとしました。

「流奈くんの言葉は世界を肯定するポジティブな姿勢で一貫していますが、
このような感性の起源は、障害のある子を無条件に受け入れた母親との関係にあります。
そのようにして受け入れたわが子を使って“やらせ”まがいのことをしたとすれば、
その行為はその子に対する完全な裏切りであり、存在の全否定につながる。
そんなことは絶対にできないだろうというのが私の直感です。
そうでなければ、流奈くんがあんないい顔をしていられるはずがない」

「そんなむごいことをやれば、母親自身の人間が壊れてしまいますよ。
人間性の根幹を自ら損ねるようなことをやっているん
じゃないかと人々は疑っているわけですが、科学的に検証されていないからと言って、
そこまで疑ってかかっていいものだろうか。
科学的であることとか実証的であることとかにこだわりすぎて、
ものごとを見るまなざしが浅ましくなっているように思います」


日木流奈くんからのメッセージ
日本で様々な問題が起こって、多くの人たちに不安や恐れが生まれている今こそ
一人でも多くの人に届いてほしいなあと思います。







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最終更新日  2012年04月10日 22時03分19秒
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