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2011年12月28日
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カテゴリ:つれづれ
 
「褒めない、叱らない子育て」を最初に知ったのは
たぶん10年以上前、環境運動家の高木善之さんの本
『地球大予測 オーケストラ指揮法』だったと思います。
彼の子育ての話の中で「褒めない、叱らない。ありのままに認める」
というのを読んで
それまでの「褒めて育てる」という常識が変わりました。

もうその本は手放してしまったので、手元にないのですが
こちらのサイトに概要がまとめて載っていたので、
興味のある方は、ぜひ読まれてみてくださいね。
(特にこのサイトの『5の家庭にて』のところ)

その後、私自身が様々なヒーリングを通じて
あらためて気づいてきたことは、いつも親に叱られてばかりいれば
自分に自信を持てなくなったり、自分の価値を見出せない子供になりますが
でも、親に褒められて育った子が
自分の存在価値を認めることができるようになるとは限らないということ。
それは、褒めるという行為そのものより「褒め方」にあるのだなあと。

例えば、テストで100点を取ってきた時は褒めて、
75点の時はあまりいい顔をせず、50点だと叱る
もしそういう育て方をしたなら、子供は
75点では親を喜ばせることはできず、50点では認められない
ということを理解しますが
自分のありのままを認められていないと感じるのです。

もし子供が50点取ったなら、それに対してその子がどう感じているか?
もしも子供が満足していないのなら、これからどうしたらいいのか?を
親が決めるのではなく子供自身に考えさせ、答えを見つけさせる
その時、親が50点がいいとか悪いとかの判断は
一切しないことが大切だなあと感じます。
それはあくまでも親の価値判断でしかありませんから。

また子供の親の期待に添った行為だけを褒めていたとしたら
子供は自分の存在を認められるためには
いつも人の期待に添った行動をしなければならない
と感じるようになります。
親に何かしらの期待をされて育った子供は、その期待に応えようと
自分本来のやり方ではない道を選んでしまっていたり
必要以上に人に貢献しなければならない、というプレッシャーを感じていたり
または、人の期待に添えない自分に罪悪感を感じていたりします。
だから、よく親に褒められたり、優等生だった子どもほど
いつも周りの期待に応えなくては、自分の価値は認められない
などと潜在的に感じていることがあるのです。

「人からの期待を手放す」
この調整はキネシオロジーのセッションで何度も出てきましたが
ほとんどの場合、親との関係に関わっていました。

私もそうで、小学校の頃は優等生でしたから
基本的には親から褒められることが多かったのですが
いつか、確かテストの結果が70点だったか80点だったか
普段の私の成績より悪かった時がありました。
いつもより勉強しなかったわけではないし
たまたまだと、私はあまり気にしていなかったのですが
そのテストを見た両親がかなり動揺し、怒った時に
とてもショックだったのを覚えています。
もちろん親としては、そんなことはたいしたことではなかったでしょうが
子供の心には、私はいつも完璧でなければ認められない
失敗は許されない、そう刻み込まれたのです。

私の場合、小学校の5年生の時には、
すでに、そういう優等生の自分に対しての葛藤があって
いつも何か自分ではないものを演じているかのような気持ちになっていました。
それで、高校になってあることがきっかけとなって
かなり親に反抗した時期がありました。
いわゆる反抗期なのですが、今思うと、
これが私の人生の中でとても大切だったのだなあと。
反抗期というのは、子供は親に対して
「あなたの期待通りには生きません、私は私の生き方をします」
という意思表示であって
親にとっても「子供は自分の思い通りにはならない」
ということを学ぶために大切な時期なのではないかしら?と思うのです。
それを反抗しないで、ずっと親の期待通りに生きていれば
どこかで自分の魂が望む道とはずれてくる時期が来ますから
そこでいろんな問題や葛藤が起こってきます。
親の期待だけでなく、人の期待にいつも応えようとするので
自分を優先することができず
自分のやり方で生きることができなくなるのです。
(だから、もし、親が子供に対して一切の期待をせず
ありのままを受け入れていたら、子供は親に反抗する必要がなくなります)

私はそのあたりは、もうかなり昔に手放したつもりがだったのですが
IHキネシオロジーを始めてから
まだ完全には癒されていなかったことに気づきました。
私は自分がやりたくないことは、誰がどう期待しようとやらないのですが
自分のやりたいことに関して、人が期待していた場合、その期待に応えようと
自分のペースではないやり方で、やってしまうようなことがありました。
もし、私がヒーリングで、相手の期待(つまりは相手のマインド)に添った
ヒーリングをしようとする意識が少しでも芽生えれば
本当のハートの意識でのセッションができなくなります。
それでIHキネシオロジーで調整したら
やはり、インナーチャイルドの問題が出てきました。
昔、親に反抗してから、人からの期待は完全に手放したつもりでいても
まだインナーチャイルドは、完全には癒されていなかったのだなあと。

人からの期待といっても
ほとんどの場合、実際はそれに添わなくても、
相手は期待を裏切られたと思うわけではないことが多いのですけれどね。

褒めない、叱らない育て方というのは、
結局、子供に対して、こうなって欲しいという期待を完全に手放すということだなあと。
褒めなくて、叱らなくて、期待しないなんて
一見、冷たい親みたいに思われるかもしれませんが
実際は、これを実践するためには
子供といろんな話をして、一緒に考えてゆき
より深く子供と関わってゆくための時間もエネルギーも必要になってきます。

ということで「褒めない育て方」を提唱している人はいないかしら?
と思って検索してみたら、本を出している方がいました。

『ほめない子育てで子供はのびる』岸英光

まだ読んでいなくて、内容は詳しくはわからないのですが
レビューを読むとよさそう(また読んでない本を紹介するという、この無責任さパンチ

褒めないと言っても、もちろん
子供がどうやったとしても褒めないということではなく
時には褒めたり、一緒に喜んだりすることはいいと思うのですが
その褒め方が大切だということですね。
親の価値判断で褒めないということ。
褒めるというのが、評価することにつながらない褒め方、
つまり褒めるというより、認める、受け入れるということ。

例えば50点取って、何が自分の問題だったかに子供が気づいたなら
「なるほど、そうだったのね、そこに気づいたのはうれしいよ」
と、子供のあり方を認める。
親がこうしなさい、ではなく、
自分自身で気づいてゆくチャンスを与えるのですね。
子供は親が言わなくても、
自分がどのぐらいできるかもちゃんとわかっていますし
親が結果や行為に関わらず、自分を認めてくれていると感じていれば
正直にいろんなことを親に話します。

これは、全くヒーリングのプロセスそのものなのだなあと。
例えば、もしクライアントさんが、誰かにジェラシーを持っていたとして
私が『人にジャラシーするなんてひどい』と思っていたとしたら
クライアントさんは、私にはジェラシーを持っていることを
出せなくなってしまいますから、その問題は浮かびあがってこなくなり
解決できなくなってしまいます。
ジャラシーを持っていようが、敵意を持っていようが
私が問題とするのはそんなところではなく
どうしたら、その人にとってハッピーな方向に向かうことができるか?
ですから。
50点だから悪いとかいいとか判断をすれば
その子にとって、本当に必要なこと、大切なことが見えて来ないのです。

だから、褒めない、叱らない育て方というのは
何よりも親自身が、価値判断、ジャッジを手放していることが大切だなあと。

高木善之さんの話の中で、娘さんが生まれもって頭にアザがあり
そこにハゲがあって
高木さんは、そのハゲを娘によく見せて、その事実だけを伝えていた
というエピソードがありました。
それで、ある日、娘が学校で、ハゲだみんなに言われた時に
「見てみて、生まれつき私にはアザがあってそこだけ髪がはえてこないの』と
みんなにその部分を見せたら、みんな納得してそれ以上何も言わなかったそう。
もし、親がハゲが恥ずかしいなどという価値観を
持っていたとしたら、こんな風に子供がのびのびと育つことはないですし
いじめられたかもしれませんよね。

私には子供がいないので、実際には子育てはできませんが
基本的には大人に対しても、同じなのだなあと感じます。

以前、私がおさむのサウンドヒーリングに対して
あれこれ褒めたり、これはよかった、今いちだったと
自分の感想を言っていた時期がありました。
私が感動した時には
「あのサウンドはよかった~♪また今度の交流会の時にもあれをやって」
などと言っていました。
ある時、私が主催ではなく、おさむが主催で行うことになって
その時におさむが
「のりこがいると緊張するから、のりこはその場にいない方がいい」
と言い出しました。
つまり、私がいると、私が気に入るようなサウンドヒーリングをしなければならない
私が気に入るようなガイドをしなければならない
というプレッシャーをいつのまにか、おさむは感じていたのでしたほえー

それで、私がいない方が、おさむも自由にできると
私が家にいない日に、家でサウンドヒーリングの会をやってもらったりしました。
でも、その後、IHキネシオロジーをおさむに行った時に、魂の目標として
「(のりこの意見に関わらず)自分の感じるままに演奏し、行動する」
というような目標が出てきました。
うう~、私の意見に関わらずって、、、泣き笑い
私としては、ただ自分の感想を言っていたつもりだったのですが
それが彼を評価することにつながっていたのですね。
それが彼の自由さを阻害していたことを深く反省しあっかんべー
キネシで調整を行いました。
(こういうのを「自分で撒いた種は、自分で刈り取る」というのかしらね)
その調整の後、おさむは私がいても、意識せずに自分が感じるままにできるようになったし
だからといって、私の意見をないがしろにするということもなく
むしろ以前より尊重してくれるようになった気がします。
(子育てじゃないけれど、学ぶことが多いですね)
今でもよくおさむを褒めますが
それが評価につながらないように、と思っています。
もっとも、今なら例えどんな褒め方をしても、彼は自分のやり方ができるのでしょう。

今、親になる人たちがどんどんと意識が変わってきているので
これからきっと子育ても変わってくるだろうなあと感じます。
自分の存在価値を人からの評価で計らないこと
人からの期待によってではなく、自分が本当にやりたいことを
やりたいペースで行ってゆくことができる、
つまり自分の生き方を優先できること。

自分の生き方を優先することは、自分勝手とは違います。
本当に自分の生き方を潜在的に優先できていれば
相手を受け入れてゆく余裕もありますから
そこに優しさやいたわりも生まれます。

褒めない、叱らない、そして期待しない育て方。

大切なのは、やっぱり

受け入れる、認める、信頼する、ことですね。

(は~また長くなってしまった。。
誰も長く書いて、なんて期待されてないのですが)
←というより、短くまとめて、とおさむに言われているのですけどね。
(おさむの期待には全く応える気なしあっかんべー





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最終更新日  2011年12月30日 00時42分25秒
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