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カテゴリ:ヒーリング
私のIH キネシオロジーのセッションで クライアントさん(の身体)がよく選ぶフラワーエッセンスの一つに アラスカンエッセンスの「ヤコブズラダー」というのがあります。 その効能として書かれているのは 流れ・導きに従いながら生きていく生き方に変わっていくように 助けるエッセンスです。 頭で人生を計算しコントロールしようとする生き方を卒業し 魂の衝動(またはハイヤーセルフの導き)を受け入れるよう助けます。 このエッセンスを選ぶ方は これまでの人生をいつも計画通りにやろうとする人だったり 目標に向かってがんばったりする方が多いのですが その方が、そういったマインド中心の生き方から ハート中心の人生への第一歩を踏み出したような時だと感じます。 つまり、もうマインドに従う生き方を卒業する時期だ ということを顕在意識でも認識し始めているということ。 だから、私はこのエッセンスが選ばれた時は 「ハートの道への第一歩、おめでとう」 という気持ちになるのです(口に出しては言わないけれどね) 魂の導きを受け入れる(ハートに従う)というのは 目標達成型人生を卒業する、ということ。 目標を達成するためにがんばること 人としての価値を持つには、何かを目指していなければならない 何かに向かってがんばっている人が素晴らしい そういう意識が、ハートよりマインドを優先させる生き方につながってゆきます。 先日書いたような「やりたいことが見つからない、または見つかってもがんばれない」 という問題を生み出すことにも、つながってくるわけです。 先日「筋反射は、ひたすらやり続けていけば上手くなります」 と書いたのですが、それから何人かの方から 「私は、そんな風に情熱を持ってやることができません」 と話されていました。 そしてやれない自分がだめな人間に思えてくる、ということ。 一つのことに対して、それとどう向かい合うかは人それぞれなのですから 自分のスタンスで取り組んでいけばいいのです。 私がヒーリング中毒のようにキネシオロジーをひたすらやったのは ただそれが楽しくてたまらなかったからであって もし何かを達成しなければならない、という思いからだったら きっとやらなかっただろうなあと。 楽しくて夢中でやっていたら、いつのまにか何百、何千回とやっていた そんな感じなのです。 もし、やりたいと感じることが見つかったのにも関わらず 情熱が持てないとしたなら 今は、それをやる時期ではないか または、他のこととのバランスを取りながら、のんびりやってゆく時期なのか、 または自分の能力や可能性を信頼していないからチャンレンジできないのか または、本当の自分にとっては、やりたいことではないか (何かに影響されてやりたいと思っている) 自分の内側と向かい合ってゆくこと。 がんばれない自分を否定する必要は全くなく むしろ、無理してがんばらない自分を受け入れる。 本当にそれが魂レベルでやりたいことなら、必ずいつかやるでしょうから。 「もっと、がんばらなければならない」という思い。 「自分は充分にがんばっていない」という思い。 私はこれを「ガンバラナケレバ病」と呼んでいるのですが この病にかかっている人は、とても多いです。 がんばって何かを成し遂げた話、は多くの人を感動させますが この「がんばり方」が問題なのです。 それをやっている時にはがんばっている、なんて感覚もなく ただ夢中になってやっていて、あとから振り返ってみると 「よくがんばったなあ」そんな感じのがんばり方は ハート(魂の導き)に従ったがんばり方。 一方、本当はわくわくしていないのに 何かを達成して人から認められるためや、お金のためだけにやっているがんばりは マインドに従ったがんばり方。 マインドに従ったがんばり方だと、いつかはダウンしてしまうし 上手く行かないことも多くなります。 これからの時代、みんながハートの生き方に目覚めてくれば 目標を持たない生き方に変化してゆくのではないかなあと。 目標を持たない生き方というのはどういうことなのか? というと、その時、その時、自分が最もやりたいこと 最大限に楽しめることをやってゆく生き方。 未来のために生きるのではなく、今のために生きる。 もちろん、一応、目標となることがあってもいいと思いますが そこにいたるプロセスそのものも楽しむことができて そして、いつでも、その目標を変更できる柔軟性を持っていること。 夢や目標に縛られてしまって、本当の意味での自由さを失ってしまっている人も 多いですから。 今、やりたいことや情熱を傾けることがないのなら それはある意味では自由でいられるということ。 その状態を最大限に楽しむのです。 私は今は、やりたいことだらけ、なので、時間がいくらあっても足りないですが 最初にニューヨークに来た頃は、情熱を向けたいものが何もなかった時期がありました。 でも、その時期に「やりたいことを見つけたい」なんて思いもありませんでしたし 日々をただ最大限に楽しんでいました。 ビルの合間から見える空の青さ、公園の木々のぬくもり、風の心地よさ 出会う人々とのその場限りの会話の楽しさ、 もし、そういった小さなことを楽しめないのなら 例え、何をやったとしても、心から満たされることはできないかもしれません。 (そういう喜びを感じられなくなってしまう要因というのもあるのですが) 私の人生の中で、情熱を傾けるものがなかった時期も 今思えば、とてもとても大切な宝物なのです。 例え、あなたが今、何をやっていたとしても、またやっていなかったとしても あなたの本当の存在価値には全く関係ありません。 私はその人がやっていることで、その人を判断したことは この人生の中でただの一度もなかったです。 私が心から信頼している友人たちは、彼らが何かを成し遂げたから でもないし、何かを知っているから、でもありませんから。 そして大切な友人はみんな、私という人間をそのまま受け入れてくれた人。 私が何をやっていても、やっていなくても がんばっていても、いなくても、なのです。 目標達成型からの卒業。 ハートの生き方への入門。 ヒーリングは、ハートに従って生きるための道具に過ぎないのですから。 いつか、誰もがそういう生き方ができる時代になれば ヒーリングという概念もなくなるでしょう。 できれば、ここに生きているうちに、そんな世界を見てみたいな〜 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012年08月26日 10時42分26秒
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