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カテゴリ:つれづれ
さて、ここ最近の私の変容のきっかけは、ここ数年間、私ととおさむの
恒例になっていた9月に行う予定の旅がきっかけでした。 9月のおさむの誕生日前後に、また旅に出かけようと 今回はおさむがギリシャに行きたい、というので 何ヶ月か前には、以前宿泊したギリシャのサントリーニのホテルを予約していました。 ですが、今回、おさむの身体が旅に出るのを許可しません。 旅に行くのを身体が許可しない、というと変ですが、つまりは、本当のおさむは旅に行きたくない もしくは、今は旅に出るタイミングではない、ということなんです。 試しにマップカードを引いてみましたが、私が引いてもおさむが引いても、答えはノー。 私一人で旅に出る、と出てしまいます。 おさむに至っては「あなたは荒れ狂う波を簡単に乗りこなせる波だと甘く考えていませんか? 今は、あれこれ行動せず、ただ波に漂っている時です」 などというカードばかりが出てきます。 考えられる一つの理由には、経済的なことがありました。 毎年、おさむの誕生日の旅は、私がお金を出していたので、今年もそうするつもりだったのですが それがここ最近のおさむのテーマであった、自立や男性性、に引っ掛かっているのだろう と、おさむの身体を調べてみましたが、どうやらそういったことだけではないようです。 じゃあ、もう今回の旅はやめよう、としたのですが そうすると私の身体からの声として 「一人の時間を持ちなさい」とか 「これまでのパターンを捨てる時です。 そうしなければ、おもしろくない人に成り下がってしまいます」 などというものが上がってきました。 確かに、5月に日本から戻ってから、この約3ヶ月、ずっとセッション詰めだったこともあって 9月はモードを変えるためにも、短期間であってもどこかに旅に出たい という思いはありました。 でも、おさむが行かないのだったら、一人で行ってもなあと。 それで、まず、おさむに私のセッションをやってもらって出てきたのが 「人と感動を分かち合いたい」という私が潜在意識に持っていた思いでした。 旅で美しい景色、おいしい料理、楽しい体験、そういったものを 一緒に分かち合いたい 一人で体験しても、それをシェアできないのはつまらない、という思いです。 セッションで年齢退行していくと、子供の頃からの思いが出てきました。 私には3歳下の妹と、7歳下の弟がいますが、私の記憶の中で、例えば 誰かからお菓子やケーキをもらったら、まずは弟に食べさせてあげなきゃ とか、みんなで一緒に食べよう、と思ったことを思い出しました。 いわゆる、典型的な長女体質ですね。 私にとって、人と感動や喜びをシェアすることは、当たり前のことであって それが問題であるとは全く思っていませんでしたが それが私の自由さのブロックになっていたとは。 そのセッションの後、一人旅をする決心がようやくついて さてどこに行こう?と思ったら、その日のうちに、ネットでフランスの モンサンミッシェルの写真を見たので、いつか行きたいと思っていたこともあり フランスに決めて、チケットを取りました。 が、この時点では、私の意識はそこまで大きくは変化していなかったのです。 その後、おさむが 「いいな〜やっぱりおれも行きたい」と言い出したので やっぱり、おさむも一緒に行った方がいいよね、と おさむが何とか一緒に行けるように セッションで調整してみることになりました。 が、その日のセッションで、おさむの身体から出てきたのは 「子供の頃に甘やかされた」「与えてもらって当たり前」 「感謝できない」「人をうらやむ」「人の痛みがわからない」と言ったディープな要因が 次々と上がってきて、はてはDNAやら脳の問題まで上がってきて とても1回や2回で調整できるようなものではなく 夜中3時頃、途中まででギブアップしました。 次の日 「私がお金を出すことには問題がないのに やはり、無理なのかな?おさむのハイヤーセルフは厳しいね」 と話していた時に おさむが一言 「いいな〜、おれも一人旅したい」と何気なく言った一言が ひっかかりました。 「あのな〜、私が何とか一緒に行けるようにと夜中までセッションやっていて 俺も一人旅したい、じゃないでしょ?」 とその時はプンプン怒ったものの、また次の日には私は忘れてしまっていました。 そして、それから、2日後、仕事のことについてのおさむのある一言で 今度は頬をバシバシ殴られた気持ちになりました。 まるで誰かに「目を醒ませ〜!」と言われているかのようでした。 「あ〜私はこれまで何をやってきたのだろう」と。 思えば、おさむが2年前にキネシオロジーを仕事にする と言い出してからのことでした。 彼が一人前になれるように 彼のクライアントさんが増えるように、彼が認められるように あらゆる資料を手渡し、教えて 私のクライアントさんたちを紹介して その方たちがおさむのセッションを気に入ってくれたら 私が認められるよりもうれしくて 時には夢の中のシーンにまで出てくるまでになっていたのでした。 そして、私のそういった行為やあり方が、逆におさむの自立を防いでいたことに 気づかなかったのでした。 私は彼の食事の世話をしたり、洗濯してあげたりはしない人なので 彼に尽くしている感覚は全くありませんでしたが これじゃあ、過保護のお母さんと同じだなあと。 (これがおさむ曰く、何でも出してくれるドラエもん状態だったわけですが) 本当の意味で、私は彼の力を信頼できていなかったのですね。 もちろん、これは私自身の問題です。 いや〜人のことはよく見えるのに、自分のことは 全くわかっていなかったというか。情けないというか。 クライアントさんなら、ニュートラルに観えてきますが 自分のパートナーとの関係となると、ただありのままに見ることって難しいですね。 という経緯がいろいろあって、一人で旅に出ることにも また、おさむの問題は、おさむに任せておくことも もう何の抵抗も罪悪感もなくなりました。 考えてみれば、10年ぐらい前までは、コスタリカに一人旅したり 一人でアメリカ各地に行くこともあったのに 年々、やらなくなってしまっていました。 一緒に感動を分かち合うことも素晴らしいけど 一人で体験することもまた人生でのエッセンスだなあと。 そして、私がその調整をした後、2週間の間に 「人と感動を分かち合いたい」という思いが問題、と クライアントさんの身体から上がってきたケースが、3回もありました。 人と感動を分かち合いたいために、本当の自分のやりたいことを優先できなかったり または、何でも分かち合えなければ、さみしい感覚になっていたり 自分だけが幸せだと罪悪感を感じてしまっていたりと それぞれの人によって、状況は違いましたが まさに私がそこから抜けたから、出てきたのね〜と感じる要因でした。 感動を分かち合うことは素晴らしいことだし 分かち合う心は必要ですが 一方でそれが強すぎて「分かち合わなければ」になってしまうと 自由さを失ってしまったり、無意識のストレスになってしまったりするのですね。 ということで、これまでも自由に生きてきたつもりでしたが さらに自由に生きてゆきます〜 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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