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2023年03月01日
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カテゴリ:ヒーリング

さて、先日の復習会で、私自身の恐れをワークの

プロセスをシェアしたのですが

それは「スピリチュアルエゴへの恐れ」でした。

それは、根元を探って行くと

人間の持っている愚かさへの怒りや悲しみであって

だから、自分はそうなりたくないという

恐れにつながっていたわけですが

今回、その根本要因として出てきたのは

チベットでの過去世で

そのセッションで、大きな感情の解放が起こりました。

では、このスピリチュアルエゴへの恐れは

今生では、いつ頃から持っていたのだろう?

と、思い返してみると

小学校の高学年の頃には

もうすでに感じていたことに気づきました。

子供の頃は、まだ「エゴ」という言葉すら

知らなかったのですが

でも、すでにエゴへの恐れは持っていて

例えば、先生や親に褒められると

「もしかすると、私は、褒められるために

頑張っているのだろうか?』

と自分に問うというのを無意識にやっていたのです。

すると、私は勉強が楽しくてやっていたつもりだったけど

その気持ちがあるのかもしれない、ということに気づき

「もしそうだとしたら、なんと自分は

ずるくて汚いのだろう」と、だんだんと

自分のことが嫌いになってしまった時期がありました。

つまりは、その頃には、承認欲求が

エゴから来ていることはどこかでわかっていて

それを子供の頃の私は
「何か純粋ではないもの」と感じていて

自分が持つことを恐れていたのです。

その当時、学校の授業で

ソクラテスの

「無知の知」という概念を学んだ時に

私の中で

「ああ、これこそが真実だ」

という衝撃を受けたと同時に

どこかで安心感が生まれたのを思い出しました。

その安心感は
「私は何も知らない」ということさえ知っていれば

エゴに陥ることから免れることができるというか。

今から思い出すと、そんな感覚だったのです。

(実際は「私は何も知らない」というのが

不要な信念体系につながってしまうこともあるのだけど)

だから、小学校の高学年の時が

今までの人生で一番

自分のことが嫌いだった時期で

葛藤していた頃だったなあと。

そのエゴへの恐れと抵抗から

中学、高校、大学と進んでいく中で

私は人から認められるためにこれをやっていないか?

というのは、常に自問自答していて

もし少しでも、その気持ちがあるものは

絶対にやらないと決めて

それを実践するようになってから

だんだんと自分のことが

好きになっていったわけなんです。

今回のスピリチュアルエゴへの恐れをワークした後

やっと、小学校の頃の葛藤していた自分に

寄り添うことができたのですが

でも、これは、実際には、親や誰かの影響というよりも

私がカルマ的に抱えていたことから

来ていたものでした。

NYに来て、こういうスピリチュアルなことに

興味を持ち始めてからも

最初に惹かれたのは、例えば

キプロス島のヒーラー、ダスカロスなどで

今はもうはっきりとは覚えていないけれど

彼の言葉の

「そのヒーラーが、自分は何かをわかっている

と思った瞬間から、そのヒーラーは転落するだろう」

という内容だったり

または、エックハルトトールの

エゴの構造に関する本だったり。

(ある時からは、心に響かなくなったのだけど)

だから、セラピストの意見や考えではなく

相手の身体からの声に従って、セッションを行うという

キネシオロジーに、私が強く惹かれていったのも

その点からも納得で

自分のエゴが入る余地がないところで

ヒーリングを行いたい

というのは、もうずっと強く思っていました。

私のサイキック嫌いも、そこから来ていて
(今はもう、それはかなり手放してきたけど)

サイキックリーディングをやっている方たちが

自分のエゴに気づかず

リーディングしていることが多いのは

経験上わかってきて

だから、サイキックの力は使いたくないと

封印していたのも、自分がスピリチュアルエゴに

陥らないためでした。

ところが、それだけ気をつけていたにも関わらず

やっぱり、スピリチュアルエゴを持っていたことに

自分のマルデュック遺伝を調整した時に

改めて気づいて、ショックを受けたわけです。

エゴという意味で言えば

マルデュック遺伝だけでなく

オリオン、アヌンナキ、アガルタ、デロス、
ネガティブ系のシリウスなど、
いろんな遺伝があり

もううんざりするほど、自分のエゴを見ることに

なったわけですが

マルデュック遺伝は、エゴの中でも

特にスピリチュアルなエゴにつながりやすい遺伝なので

ヒーリングやスピリチュアルなことをやっていながら

この遺伝を持っていない人は、ほとんどおらず

これを持っていない人は
ほぼ奇跡に等しいと思っていました。

で、同時に、エゴを許さない遺伝というのもあって

それがリラだったり、プレアデスのアルシオン遺伝

だったりするわけです。

私は、まだアルシオン遺伝を持っているのですが

今回のチベットでの過去世のワークが終わってから

ようやく、そこを調整する準備ができたように

感じています。

これは、自分自身のエゴというだけでなく

例えば、多次元の筋反射クラスを受けた方から

「筋反射を学んで、私は覚醒しました」

などと(冗談ではなく)周りの人に言っている

などという話を聞くと

ガーンとショックで、

「これは、私が(宇宙系など)こんなことを教えているから

こんなスピリチュアルエゴを生み出してしまった」

と、その度に、自分の責任だと感じていました。

一方で、自惚れとコンプレックスは裏表なので

「筋反射ができません」などという人ほど

できるかできないかに囚われたり

(できないと劣等感、できると自惚れになる)

特別な能力を求めていることが多く

何かのきっかけで、一気に特別意識や

スピリチュアルエゴに陥ってしまうのも見て

人が根底に持っている

「特別な能力が欲しい」とか「特別な体験をしたい」

というエゴの根深さも実感して来ました。

だから、このスピリチュアルエゴに関しては

恐れていたというか、もう見たくないと

うんざりしていたのですが

でも、今回の過去世のワークの後で

実感したことがあって

それは、マルデュック遺伝やエゴを

持っているからこそ

よかったこともあるということでした。

以前、クラスの中で

「マルデュック遺伝を持っていて

いいことはないのですか?』

というご質問を頂いたことがあって

その時は、私は

「特別意識で、自分の問題を見ることができず

まあいいかと達観し、刺激を求めて、先走ってやるけど
現実を見れず、
地道な努力ができずに続かない
という性質のマルデュック遺伝を持っていて

プラスになることなんて何一つないです」

と言い切ってしまったのですが

一つだけ、マルデュック遺伝があるからこそ

いいことがあることに気づいたのです。

それは、今回のアルクトゥルスメソッドクラスで

今のところ、アチューメントの許可が降りている人たちは

ほとんどすでにプロとして

ヒーリングや多次元を仕事として

人に行っている人だったのですが

その中で、アチューメントの許可は降りているけど

まだ調整が必要だとガイドに言われた方が、お二人いて

そのお二人とも、まだ人へのセッションを

仕事としてやっていない方でした。

その方たちは、マルデュックの先走りや自惚れや

達観癖がないので、慎重になりすぎていて

その能力があるにも関わらず、恐れの方が大きくて

仕事として人にセッションができないでいるのが

伝わってきたのです。

もし、マルデュックが強ければ

例え自分の問題は山積みであっても

まあなんとかなるか

と人にセッションを行うきっかけになるし

人にセッションを行って行く中で

自分自身の調整が必要なことを実感し

自己調整して行く方もいるので

最初の起爆剤としては、マルデュック的な性質が

プラスに働く時もあるということに気付きました。

(もちろん、同時に、地道に継続する遺伝や

性質を持っていなければ、何かを始めても

すぐにやめてしまうことになりますが)

スピリチュアルエゴや自惚れや先走りが

プラスに働くことがあるだなんて

これまで一度も考えたことなかったのだけど

確かに、この遺伝を私が持っていたからこそ

多次元キネシオロジーが生まれたとも

言えるかもしれないなあと。

2016年まで、私は様々なヒーリングを学び

数多くのキネシオロジーのセッションを人に行ってきて

自分なりのコンセプトや、やり方が
少しずつ形づくられてはいたものの

まだはっきりとしたプログラムも内容もできていない段階で
その頃のクライアントさんからの

「教えてください」という要望に応えて

クラスの募集をし、日本での場所も予約して

スタートしたので、そういうのは

まさにマルデュック的だったと言えるわけです。

で、それから私自身が変化しながら

どう教えたらいいのか

どんなプログラムが必要なのか

ずっと試行錯誤してきた中で

ユニバーサルリトリートを行ったり
それから6年以上かかって、ここ最近、ようやく

多次元キネシオロジーのベースとなるものが

形作られてきた感じで
それは、もちろん、決して諦めない木星遺伝や
その他の性質を持っていたからですが

それだけでなく、最初の頃の
「まあ、なんとかなるか」と達観し

「とりあえず、やってみよう」

という勢いでスタートしたから
たどり着いたとも言えるわけです。

この前のニューヨークオフ会で

2016年の最初のクラスを受けた中で

二人が参加してくれたのですが

あの10人のクラスの中で
今も多次元キネシを続けているのは

この二人を含め3人だけで
一人は、もう多次元キネシのプロとして

独立されているし
あの当時のプログラムであっても
よく、ここまで諦めずに
続けてきてくれたなあと。

それは、例え、マルデュックの先走りや

エゴがあったとしても

それだけでないものを持っていたからであって

お互いに、ここまで一緒に成長してこれたことが
本当にありがたく、感謝でした。

あ、ちなみに、こういうことを書くと

「私はマルデュック遺伝が強くて

特別意識もあるから、のりこさんに嫌われる」

などということを思う方がたまにいるので

念のためにお伝えしておくと

私は、遺伝的な性質と、その人とを

切り離して見ているので

例えば「ああ、これは、レプ遺伝やグレイ遺伝から

来ているな」とわかったとしても

それは、その人の一部の性質でしかないので

その人自体を嫌いとか、そうはならないわけなんです。

(自分自身もほとんど持っていたわけだし)

今回、このスピリチュアルエゴへの恐れを

ワークしたことで

クラスを受けられた方のスピリチュアルエゴを見ても

自分の責任だとは思わなくなったし

それもその人にとって必要なプロセスだと安心して

見守ることができるようになったことと

リーダーとして、エゴで人を導いてしまうことへの
恐れも和らいだように感じます。

(ここは、アルシオン遺伝があるせいか

まだ完全になくなってはいないのも感じていますが)

ベーシックや中級クラスを行うことの

抵抗感はないのですが

新アルクトゥルスメソッドクラスの内容は

超スピリチュアルとも言えるので

こんなクラスを開いていいのか?

参加者のスピリチュアルエゴを増幅させるような

ことにつながるのではないか?

そもそも、私自身が今

これらの内容を人に教える段階にいるのか?

という不安が、少し前まであったのですが

今回のワークによって

やっと、そこへの抵抗や恐れがなくなったのを

実感しています。

そして、不思議なことに、その後すぐに
その恐れを手放したからこそ
気づくことができるような事が起こって
本当に、世界は自分の無意識が反映されていて
何かの意識が変わると
見えてくる世界が変わるのだなあと。

あ〜実は、そのことをシェアしようかなと思って
書き始めたのですが、ここまでの
前振りが、えらい長くなってしまった😅

ということで、長々と私の抱えていた
面倒臭いプログラムの話を
読んでくださってありがとう〜










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最終更新日  2023年03月02日 08時34分49秒
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