カテゴリ:読書
この本は、1991年3月~93年1月にかけて田中清玄にインタビューを行い、大須賀瑞夫氏がまとめたものです。
田中清玄(1906生まれ)は、戦前に共産党の書記長として武装方針をとりましたが、獄中で転向しました。 戦後の1945年12月21日には昭和天皇にお会いになり、熱烈な天皇主義者になったようです。 以下は気になった箇所の【引用】と【感想】です。 【引用】 「お前のような共産主義者を出して、神にあいすまない。お国のみなさんと先祖に対して、自分は責任がある。また早く死んだお前の父親に対しても責任がある。自分は死をもって諫める。お前はよき日本人になってくれ。私の死を空しくするな」 【感想】 これは田中清玄の母親(1930年2月に割腹自殺)の遺書です。 田中清玄の母親は、田中清玄が共産党の書記長をつとめている時に自殺しました。 この遺書の内容がすごい、今では考えられないです。 このことは以後、田中清玄の心の中に重くのしかかって、その後の転向に影響を与えたそうです。 【引用】 「力ずくで取ったり取られたり、また血を流すこともなしに、お互いが話し合い、3年で解決しないものは5年、5年で解決しないものは10年、10年で解決しないものは100年だ。後になるほどみんないい知恵を出すだろう」 【感想】 これはトウ小平の尖閣諸島についての発言です。 このスケールの大きさには感銘をうけます。 【引用】 先の大戦において私の命令だというので、戦線の第一線に立って戦った将兵達を咎めるわけにはいかない。しかし、許しがたいのは、この戦争を計画し、開戦を促し、全部に渡ってそれを行い、なおかつ敗戦の後も引き続き日本の国家権力の有力な立場にあって、指導的役割を果たし、戦争責任の回避を行っている者である。Sのような者がそれだ。 【感想】 これは昭和天皇がおっしゃった言葉です。 この本ではSではなく、はっきりと氏名が書かれていますが、頭文字に書き改めました。 中曽根元総理が重用された方です。 【引用】 だいたい俺は民主政治とか国民の声とかいうものを信用しない。民衆の動向だけで国策を決定したら、国を滅ぼす。かつての日本はそうだった。先帝陛下があれだけ平和を唱え、日米戦争を回避しようとされたのに、民衆はそれを許さなかった。その民衆を動かしたのが軍部と官僚たちだ。そしてそのお先棒を担いで旗を振ったのが、ジャーナリズムだ。こんなものを民主主義だとかいって、神様のように信じることができるか。 【感想】 すごくはっきりと語っていますね。 いまの日本は、当時とそれほど変わっているとは思えません。 私は民衆の一人ですが、声をあげる時は、本当に自分の考えが間違いないか、よくよく注意しようと思います。 この本を読んで、初めて田中清玄がいたことを知りましたが、「政・財界に隠然たる勢力をもっている」(コンサイス人名辞典:三省堂による)人物は、わかりにくいです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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