カテゴリ:読書
『女工哀史』は、1925(大正14)年に細井和喜蔵(ほそいわきぞう)により発表されました。
細井和喜蔵は、13歳の春に機屋の小僧になったのを振り出しに、約15年間にわたり紡績工場の男工でした。 この本は、紡績工場の女子工員に対する搾取の実態を伝えていると言われています。 女工に対する低賃金・苛酷な労働条件・劣悪な寄宿施設と粗末な食事等に加えて罰金制度や強制貯金を課せられる毎日の生活。 現在の日本の労働条件に比べると、地獄といっても過言ではないでしょう。 以下は【この本からの引用】と【征野の感想】です。 【この本からの引用】 さて寄宿舎の構造は大体どんな風に出来ているかと言えば、、先ずいずれの工場に行っても逃亡を防ぐために全然一つの城郭をなしている。 【征野の感想】 働く場所は「工場」、生活する場所は「寄宿舎」ですが、この工場と寄宿舎は同じ敷地にあるのが普通であったようです。 生活する場所と言っても、実際には寝るだけの場所であったと思われます。 城郭と著者が書く根拠は次のとおり。 「全国約半数の工場は人工的にお城のような濠のような塀をつくり、または寄宿の裏が河、海、沼等に当たる場所へ持って行って建設されている」と。 これだと刑務所と変わりませんね。 【この本からの引用】 親に甲斐性(かいしょ)がない故に/親に甲斐性はあるけれど/わたしに甲斐性がない故に/尾のない狐に騙されて/朝は4時半に起されて/一番なったら化粧して/二番ふいたら食堂へ/三番なったら工場にて/主任工務に睨まれて/・・・ 【征野の感想】 これは著者が蒐集した女工小唄の一節です。 どんなに辛い環境でも、いや辛い環境だからこそ、思いを歌にしたのだと想像します。 この小唄の「尾のない狐」は、募集人のことと思います。 要するに工場で新たに働く女工を集める人です。 甘言を使って集めたのでしょう。 「一番なったら」というのは、笛か何かが吹かれたのでしょう。 これも想像ですけど。 ともあれ、大正時代では「長時間労働」であったことは間違いないですし、 24時間監視されていた生活と言えそうです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005/09/10 08:04:43 PM
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