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カテゴリ:読書
この小説の創作後記の日付は、昭和56年3月20日です。
つまり25年前に書かれた小説で、当時の著者は58歳でした。 まずウィキペディアから著者のプロフィールを引用させていただきます。 -----引用開始----- 三浦 綾子(みうら あやこ、女性、1922年4月25日 - 1999年10月12日)は、北海道旭川市生まれの作家、エッセイスト。旭川市立高等女学校卒。 結核、脊椎カリエス、心臓発作、帯状疱疹、直腸癌、パーキンソン病など度重なる病魔に苦しみながら、クリスチャン(プロテスタント)としての信仰に根ざした著作を次々と発表。 -----引用終了----- さてタイトルの海嶺ですが、これはどういう意味なのでしょうか? これもウィキペディアを引いてみると、「海嶺(かいれい)は、大洋の底にある海底山脈で、マントルが地下から上がってくる場所のこと」です。 著者がなぜ「海嶺」というタイトルにしたのか、私の読解力ではわかりかねました。 そして何よりも海や船に対する知識が乏しすぎました。 しかし、この小説を読み多少の海洋関係の知識を得ましたので、2つほど書いてみましょう。 まず「渚」です。 これは「なぎさ」と読み、そのまま人名にも使われる字ですが、この意味を正確には知らなかった。 渚とは、「海の砂浜から波打ち際に至るまでのかなり広い砂地」(三省堂の辞書より)とのこと。 次は「凪」です。 これは「なぎ」と読み、「風がやみ、波が静かになる状態」です。 細かいことをいうと、朝凪と夕凪という言葉があり、海風が陸風に変化する時に風が止んで静かになる状態があるといいます。 それでは、以下に【この本からの引用】と【上記の感想】という形で、少々書いてみます。 【この本からの引用】 モリソン号が砲撃を受けたために、アメリカは1853年、軍艦4隻からなるアメリカ東印度艦隊をもって、威圧するごとく日本に開港を迫ることとなり、更には1856年のハリスの来日となったわけである。 【上記の感想】 この小説では史実である「モリソン号事件」を一つのテーマにしております。 「一体、何がモリソン号の悲劇を起こしたか。そう私は鋭く誰かに問いたい思いで、この小説を書きつづけた」と著者は言う。 では、その「モリソン号事件」とは何か? 次にウィキペディアから引用します。 -----引用開始----- モリソン号事件(もりそんごうじけん/英: Morrison Incident)とは、1837年(天保8年)、日本人漂流民(音吉ら7人)を乗せたアメリカ商船を砲撃した事件。 鹿児島湾、浦賀沖に現れたアメリカの商船「モリソン号(Morrison)」に対し異国船打払令に基づき砲撃を行った事件。 しかしこのモリソン号には漂流しマカオで保護されていた日本人漁民7人が乗っており、モリソン号はこの日本人漂流民の送還、通商・布教のために来航していた事が1年後に分かり、異国船打払令に対して批判が強まった。 またモリソン号は非武装であり、当時はイギリス船と勘違いされていた。 のちに蘭学者の渡辺崋山、高野長英らが幕府の対外政策を批判したため逮捕されるという事件(蛮社の獄)が起こる。 -----引用終了----- このような説明になるのですが、「モリソン号事件」を一つの史実として短くまとめてしまうと、あまりにも平板で「ああそうですか」で終わってしまう。 まあこれはこれで仕方のないことですが、そこに人物を登場させて小説という形にすると、実に生き生きとしてくるものだと思いましたね。 『海嶺』では、日本人漂流民の長い歳月の苦労話、そしていざ故国日本を目の前にするも、砲撃を受けて、故国の土を踏むことさえかなわずに追い払われてしまうという悲劇的タッチで書かれています。 【この本からの引用】 「そうです。聖書を日本語になおすのです。われわれプロテスタント(新教)の教会は、まだ一度も聖書の和訳に取り組んだことがありません。わたしはあなたがたがここにいる間に、その仕事をしたいのです。ぜひご協力いただきたい」 32歳のギュツラフは、意欲に燃えていた。 【上記の感想】 『海嶺』を読もうとした理由は、4月16日の日記に「日本語聖書の歴史」に興味を抱いた旨を書いたところ、いつもコメントをくださるキロリさんに『海嶺』を推薦していただいたからです。 『海嶺』が小説である以上、まずギュツラフは実在した人物であるのかとの疑問をもちましたが、日本聖書協会のHPを見ると、間違いなく実在した人物でした。 そして現実に聖書の和訳に取り組まれたとのことで、現存する最初の日本語聖書は、このギュツラフ訳によるものであるとのこと。 そして、このギュツラフの聖書和訳に協力したのが、『海嶺』の主人公である岩吉、久吉、音吉の3名であったとのこと。 当時の日本でキリシタンになることは、お上により縛り首や焙り殺しになるという禁教国であったため、岩吉、久吉、音吉は複雑な思いを抱きながら聖書和訳に協力したのですね。 そのへんが中々興味深く書かれておりました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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